ジョン万次郎記念碑(豊見城市)

ジョン万次郎記念碑2
 豊見城(てみぐしく)んかいジョン万次郎記念碑ぬあん。
 彼(う)え日本人(やまとぅんちゅ)とぅしち、初(はじ)みてぃアミリカんかい行(ん)じ、10年後(じゅうにんあとぅ)、また帰(けえ)てぃ来(ち)ゃる人(ちゅ)んでぃち、名(なあ)ぬ立っ(た)っちょおん。
 彼が事(くとぅ)にちいてえ、色(いる)んな書物(しゅむち)んかい書(か)かっとおしが、1851年、琉球(るうちゅう)んかい船から上(あ)たる事(くと)お、よういいふぃ小(ぐゎあ)どぅ書(か)かっとおる。
 米捕鯨船(アミリカぬぐじらぶに)なかい助(たし)きらってぃ、糸満(いとぅまん)ぬ沖(ううち)、走(は)い過(くゎ)あちゃるばす、「チャンクミーシ(喜屋武米須ぬ事)」ぬ地名(じいぬなあ)とぅ所(とぅくる)、覚(うび)いとおたんでぃぬ事。
 あんし10年(じゅうにん)後(あとぅ)、実(じゅん)にうぬ地(じい)んかい上てぃ戻(むどぅ)たるばすやん。
 取(とぅ)い調(しら)びしちゃる番所(ばんじゅ)から豊見城ぬT家(Tぬやあ)んかい預(あじ)きらったん。
 牢屋(るうや)かい込(く)みらりいる事ん無(ね)えな、シマん人(ちゅ)とぅ自由(じゆう)に遊(あし)だんでぃぬ事。
 色んなむんかい、趣持っち、存分なあやたる万次郎、半年(はんとぅし)なあん居(をぅ)れえ、いふぃえ、うちなあぐちん覚(うび)いがさらん分からんしが、如何(ちゃあ)がやたら…。

【語句】
豊見城んかいジョン万次郎記念碑ぬあん=豊見城にジョン万次郎記念碑がある。
彼え日本人とぅしち、初みてぃアミリカんかい行じ=彼は日本人として初めて行き、
10年後、また帰てぃ来ゃる人んでぃち=十年後に帰国した人として
名ぬ立っちょおん=名高い。

彼が事にちいてえ、色んな書物んかい書かっとおしが=彼のことについては、様々な書物に記述があるが、
1851年、琉球んかい船から上たる事お=1851年、琉球に上陸したことは、
よういいふぃ小どぅ書かっとおる=ほんの少しか記述がない。

米捕鯨船なかい助きらってぃ、糸満)ぬ沖=米捕鯨船に救助され、糸満沖を、
走い過あちゃるばす=通過する際、
「チャンクミーシ」ぬ地名とぅ所=「チャンクミーシ(喜屋武米須)という」地名と場所を
覚いとおたんでぃぬ事=覚えていたとのことだ。

あんし10年後、実にうぬ地んかい=それから10年後、本当にその地に、
上てぃ戻たるばすやん=上陸して「帰国」したのである。註:下

取い調びしちゃる番所から豊見城ぬ=取り調べを行った番所(今の役場)から
T家んかい預きらったん=T家に預けられた。
牢屋かい込みらりいる事ん無えな=投獄されることもなく、
シマん人とぅ自由に遊だんでぃぬ事=地元人と一緒に自由に遊んだとのことである。
色んなむんかい、趣持っち、存分なあやたる万次郎=色んなもに興味を示し、頭の良かった万次郎、
半年なあん居れえ、いふぃえ、うちなあぐちん=半年も居れば、少しは琉球語も
覚いがさらん分からんしが、如何がやたら…=覚えもしたであろうが、どうだったのだろうか…。
注:万次郎は西部で掘り当てた金を売って、小型ボート(アドベンチャー号と命名)を買い、中国行の米国商船にボートをも載せて帰国の途に就く。そして、糸満沖で自身のボートに乗り換えて喜屋武・大度の海岸に着いたとされる。

なあかなしい(八重瀬町)

なあかなしいこれを使う

「なあかなしい」や一ちぬ棒(ぼう)んかい提(さ)ぎてえる荷(にい)、二人(たい)し担(かた)みゆる事(くとぅ)ぬちむええどぅやしが、エイサーぬ前舞(めえもう)いさあぬ事んやん。
 チョンダラー踊(をぅどぅ)いぬ一(てぃ)ちんやしが、すがいや昔京太郎(んかしちょんだらあ、チョンダラー)んかい近(ちか)さん。
 所(とぅくる)ぬゆてえ、「酒担(さきかた)みやあ」んでぃん言(ゆ)ん。舞(もう)い様(よう)や、担みてえる酒壺(さきちぶ)、振(ふ)い回(まあ)さがなあ、飛(とぅ)んじゃい跳(は)にたいし、深々(ふかぶかあ)とぅ屈(かが)だいすん。
 荷が実(じゅん)にぬ酒壺やれえ、如何(いか)な昔(んかし)ん人(ちゅ)やてぃん腰痛(くしや)まする筈(はじ)。
 やしが、うんな踊い様や、ヤマトゥんかいん外国(ゆすぐに)んかいん無(ね)えらん風儀(ふうじい)なやあに、でえじなちびらあさんあい、目張(みいは)い事(ぐとぅ)やん。
 くまぬエイサーや屋慶名(やきな)エイサーぬ流り。
 「なあかなしい」や、元々(むとぅむと)お勝連(かっちん)半島びけんぬむのおあらんがやんでぃん思(うむ)ゆん。

【語句】
「なあかなしい」や一ちぬ棒んかい提ぎてえる荷=「なあかなしい」とは一つの棒に提げた荷物を
二人し担みゆる事ぬちむええどぅやしが=二人で担ぐ事の意味であるが
エイサーぬ前舞いさあぬ事んやん=エイサーを始める前に舞する者の意味でもある。
チョンダラー踊いぬ一ちんやしが、すがいや=チョンダラー踊りの一つでもあるが、衣裳格好は、
昔京太郎んかい近さん=京太郎の原形に近い。*京太郎は本土からの旅芸人踊り。
所にゆてえ、「酒担みやあ」んでぃん言ん=地域によっては「酒かたみやあ」ともいう。*あるいは「なあかなしい」と併用。
舞い様や、担みてえる酒壺、振い回さがなあ=踊り方は担いだ酒壺を振り回しながら
飛んじゃい跳にたいし、深々とぅ屈だいすん=飛び跳ねては、膝を折り曲げて屈んだりする。
荷が実にぬ酒壺やれえ、如何な昔ん人やてぃん=荷が本当に酒壺なら、どんな(屈強な)昔人でも
腰痛まする筈=腰を痛めるであろう。
うんな踊い様や、ヤマトゥんかいん外国んかいん=こんな踊り方は本土にも外国にも
無えらん風儀なやあに、でえじなちびらあさんあい=ないような」ものであり、とても見応えがあり
目張い事やん=驚きもする
くまぬエイサーや屋慶名エイサーぬ流り=ここのエイサーは屋慶名系統である。
「なあかなしい」や、元々お=(踊りとしての)「なあかなしい」は元々は、
勝連半島びけんぬむのおあらんがやんでぃん思ゆん=勝連半島独特のものではないかと思う。
     

上原港(竹富町上原)

西表上原港
 上原港(ゐいばるんなとぅ)お、西表島(いりうむてぃじま)ぬ西方(いりいかた)んかい行(い)ちゅる肝要(かんゆう)な港なとおん。  夏(なち)ぬ間(うゑえだ)あ、写真(しゃしん)ぬ如(ぐとぅ)、いいくる海(うみ)え池(いち)ぬ水心(みじぐくる)。  やしが、冬(ふゆ)お新北(みいにし)ぬ吹(ふ)ちゅる時分(じぶん)からあ、海ぬ荒(し)ぶでぃ、船(ふに)ぬ走(は)らん日(ふぃい、ひい)ぬ多(うふ)くなてぃ来(ち)ゅうんでぃぬ事(くとぅ)。  うんなばあや、東方(あがりばた)ぬ大原港(ううばるんなおぅ)から回(まあ)てぃ行(い)かんでえならん。  地(じい)ん人(ちゅ)お慣(な)りとおしが、観光客にとぅてえ不便(ふびん)やん。やしが、丁度(ちょうどぅ)、いいしゃくどぅやるんでぃち、安(やす)んじらんでえならん筈(はじ)。  上原お18世紀(しいち)中頃(なかぐる)んじ興(うく)さてってぃ、名(な)ぬ聞(ち)かりとおるデンサー節(ぶし)ん、くまんじなたん。  やしが、明治43年(にん)、ヤキイぬ事荒(くとぅさび)なかいや敵(かな)あな、擦消(しりふ)なたん。  今(なま)ぬ上原お、戦後(いくさあとぅ)、別(びち)ぬ人(ちゅ)ん達(ちゃあ)にゆてぃ新(みい)くに興(うく)っさたるむぬやしが、デンサー節え新村(みいむら)ぬ人ん達んかい受(う)ち継(ち)がってぃ、毎年(めえにん)、「デンサー節大会」ん催(むゆう)さっとおん。

【語句】
上原港お、西表島ぬ西方んかい=上原港は西表西部へ
行ちゅる肝要な港なとおん=行く重要な港である
夏ぬ間あ、写真ぬ如、いいくる海え=夏の間は、写真のように
大抵、海は、 池ぬ水心=池の水のよう(に凪ぐ)
やしが、冬お新北ぬ吹ちゅゅる時分からあ=だが、冬季は北風が吹き始める頃からは、
海ぬ荒ぶでぃ、船ぬ走らん日ぬ多く=海は荒れ、船の欠航する日が多く
なてぃ来ゅうんでぃぬ事=なってくるとの事
うんなばあや、東方ぬ大原港から=そういう場合は、東部の大原港から
回てぃ行かんでえならん=回って行かなければならない
地ん人お慣りとおしが、観光客にとぅてえ不便やん=地元人は慣れっこだが、観光客にとっては不便だ。
やしが、丁度、いいしゃくどぅやるんでぃち=だけど、「まあいいか」ぐらいに考え
安んじらんでえならん筈=諦める方がよいだろう。
上原お18世紀中頃んじ興さてってぃ=上原は18世紀中頃に興され
名ぬ聞かりとおるデンサー節ん、くまんじなたん=名高いデンサー節もこの地で発祥した。
やしが、明治43年、ヤキイぬ事荒なかいや=だが、明治43年、マラリア禍には
敵あな、擦消なたん=勝てず、廃村になった
今ぬ上原お、戦後、別ぬ人ん達にゆてぃ=現在の上原は戦後、別の人々によって
新くに興っさたるむぬやしが=新たに再建されたのであるが
デンサー節え新村ぬ人ん達んかい受ち継がってぃ=デンサー節も新村に人々受け継がれ
毎年、「デンサー節大会」ん催さっとおん=毎年、「デンサー節大会」も催されている
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