忘勿石
 くぬ浜(はま)んかいや他所(ゆす)んかい無(ね)えらん風儀(ふうじい)ぬ写真(しゃしん)ぬ如(ぐと)おる変(か)わとおる石(いし)ぬあん。
 硬(くあ)さる大(ま)ぎ平石(ふぃらいし)え、回(まあ)いや泡(あぶく)ぬ吹(ふ)ち出(ん)じとおる風儀(ふうじい)ぬくま穴小(あなぐゎあ)ぬ蜂(はちゃあ)ぬ巣(しい)ねえそおん。
 うぬ石ぬ一(てぃい)ちんかい、「忘勿石 ハテルマ シキナ」んでぃち刻(ちざ)まっとおん。
 1945年(にん)4月(しんぐゎち)沖縄戦(うふいくさ)ぬ始(はじ)まてぃ直(ちゃあき)まんぐら、旧日本軍ぬ言い付きにゆてぃ波照間(はてぃるま)からぬ学童(がっこうしいとぅ)ん達(ちゃあ)ぬくぬ西表(いりうむてぃ)んかい分(わ)っくぃらってぃちゃん。
 やしが、くまあヤキイ地獄(じぐく)どぅやたる。
 学童ん達や一人(ちゅい)なあ一人なあ、倒(とお)りてぃんじゃん。
 くまぬ浜から生(ん)まり島(じま)、波照間ぬ見(み)ゆん。
 生(い)ちち、自(どぅう)ぬ親(うや)んかい又(また)とぅ行会(いちゃ)ゆる事(くとぅ)んならんたる生徒(しいとぅ)、肝苦(ちむぐり)さ思(うみ)いさがなあ、又、何(ぬう)んしゆうさんシキナ先生(しんしい)や、只(ただ)、くまぬ石んかい、肝(ちむ)ん肝(ちむ)ならん思(うみ)い刻むる他(ふか)あ無(ね)えらんたん。
 沖縄戦ぬばすぬ疎開地獄おくまびけえやあらんたん。

【語句】

くぬ浜んかいや他所んかい無えらん風儀ぬ=この浜には他には見られないような
写真ぬ如おる変わとおる石ぬあん=変わった写真のような石がある。
硬さる大ぎ平石え回いや泡ぬ吹ち出じとおる=硬くて大きい平石は周囲は泡を吹きだした
風儀ぬくま穴小ぬ蜂ぬ巣ねえそおん=ような小さな穴は蜂の巣のようである。
うぬ石ぬ一ちんかい=その石の一つに
「忘勿石 ハテルマ シキナ」=「忘勿石 ハテルマ シキナ」
んでぃち刻まっとおん=と刻まれている。
1945年4月、沖縄戦ぬ始まてぃ直まんぐら=1945年4月、沖縄戦が始まった直ぐの頃、
旧日本軍ぬ言い付きにゆてぃ波照間からぬ学童ん達ぬ=軍命により波照間からの学童らが
くぬ西表んかい分っくぃらってぃちゃん=この西表島に疎開させられてきた。
やしが、くまあヤキイ地獄どぅやたる=だが、ここは悪性マラリア地獄だった。
学童ん達や一人なあ一人なあ、倒りてぃんじゃん=学童らは一人また一人と倒れていった。
くまぬ浜から生まり島、波照間ぬ見ゆん=この浜からは故郷、波照間が見える。
生ちち、自ぬ親んかい又とぅ行会ゆる事ん=生きて親に再会することも、
ならんたる生徒、肝苦さ思いさがなあ=叶わなかった生徒を可哀想と思いながら、
又、何んしゆうさんシキナ先生や=そして、何もしてやれなかった(引率の)シキナ先生は、
只、くまぬ石んかい、肝ん肝ならん思い=ただ、ここの石にやるせない思いを
刻むる他あ無えらんたん=刻み込む以外になかった。
沖縄戦ぬばすぬ疎開地獄お=沖縄戦時における疎開地獄は
くまびけえやあらんたん=ここだけではなかった。

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 赤瓦家(あかがあら)がる沖縄(うちなあ)ぬ古家(ふるやあ)らあさるんでぃ思(うむ)とおる人(ちゅ)おまんどおん。
 んちゃ、しょうらあさ残(ぬく)っさとおる茅家(がややあ)や、いいくる無(ね)えらんなてぃどぅ居(をぅ)くとぅ、あんし思(うま)あってぃん、仕方(しかた)あ無(ね)えらん。
 やしが、実(じゅん)にぬ昔(んかし)ぬ古家(ふるやあ)んでえ茅家(がややあ)どぅやたる。
 くま西表(いりうむてぃ)祖納(そね)んかいや、昔茅家(んかいがややあ)ぬ残(ぬく)さっとおん。
 石階(いしきざい)上(ぬぶ)てぃぬ門口(じょうぐち)んかいや主(ぬうし)ぬ名(なあ)ぬ書(か)かっとおる札(ふだ)ぬ立(た)てぃらっとおん。
 庭(なあ)んかい入(い)っち、家(やあ)ぬ中(なか)、伸(ぬ)ばがてぃ見(に)いねえ、一番座(いちばんざあ)、二番座(にばんざあ)、下(しむ)また庫下(くちゃ)んあん。
 垂木(きち)んいい木(ち)んちゃんとぅそおん。
 家ぬ後(くさあ)んかい回(みぐ)いねえ、豚(うゎあ)ぬ不動(ふる)迄(までぃ)備(すな)わとおん。
 またくりかあぬ石垣(いしがち)ぬ石(いし)え、竹富(だきどぅん)島、石垣(いしがち)島、本島(うちなあ、じじうち)ぬうりとぅん、変(か)わてぃ、海石(うみいし)がやら、いっそうから平石(ふぃらいし)どぅやる。
 実(じゅん)に、かあま昔(んかし)んかい移帰(うてぃけえ)たる心地(くくち)。

【語句】
赤瓦家がる沖縄ぬ古家らあさるんでぃ=赤瓦の家こそ沖縄の古民家だと
思とおる人おまんどおん=思っている人が多い
んちゃ、しょうらあさ残っさとおる茅家や=なるほど、まともに残されている茅葺家は
いいくる無えらんなてぃどぅ居くとぅ=殆ど、消えてしまっているので、
あんし思あってぃん、仕方あ無えらん=そう思われても、仕方あるまい。
やしが、実にぬ昔ぬ古家んでえ茅家どぅやたる=だが、本当の古民家といえば、茅葺家なのである。註:赤瓦家は廃藩置県(明治初期)迄は、士族しか許されなかったが、外国人が行き交う那覇では例外的に士族以外にも許された。その他の地域では茅葺が主流だった。
くま西表祖納んかいや、昔茅家ぬ残さっとおん=ここ西表祖納には茅葺の古民家が残されている。
石階上てぃぬ門口んかいや主ぬ名ぬ=石垣の階段を上った門口にはも持ち主の名前が
書かっとおる札ぬ立てぃらっとおん=記された札が立てられている。
庭んかい入っち、家ぬ中、伸ばがてぃ見いねえ=庭に入り、家の中を覗くと、
一番座、二番座、下また庫下んあん=一番座(客間)、二番座(仏間)、台所そして裏座もある。
垂木んいい木んちゃんとぅそおん=(屋根を支える)垂木も桟もちゃんとしている。
家ぬ後んかい回いねえ、豚ぬ不動迄備わとおん=家の後方に回ると、豚小屋も備わっている。
またくりかあぬ石垣ぬ石え、竹富島、石垣島、本島ぬ=またこの地域の石垣の石は竹富島、石垣島、本島の
うりとぅん、変わてぃ、海石がやら=それとも異なり、海石なのか、
いっそうから平石どぅやる=片っ端から、平たい石である。
実に、かあま昔んかい移帰たる心地=本当に遥か昔にタイムスリップした気分だ。

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 牛煽(うしおお)らせ合(え)や、我(わあ)が中学生(ちゅうがくしい)ぬばすお、いいくる、牛庭(うしなあ)んじ飲(ぬ)み物(むん)売(う)やあしみらっとおたぬ事(くとぅ)んあてぃ、見(ん)じい慣(な)りとおん。
 大人(うふっちゅ)なてぃからあ、なんぞお見(ん)じゅる暇(まどぅ)ぬ無(ね)えらんたしが、生(ん)まりジマんかい巡(みぐ)ゆる道中(みちなか)、同(い)ぬ足(ふぃしゃ)なかい伸(ぬ)ばがてぃんちゃるばすやん。
 煽(おお)らしい様(よう)やうんにいとぅ全(まったち)ち変(か)わらん。
 牛煽らせ合や生(い)ちむししんだんでぃ言(ゆ)る人(ちゅ)ん居(をぅ)しが、沖縄(うちなあ)ぬ牛煽らせ合んかいや、むさっとぅ当(あ)たらん。
 牛(うし)え主(ぬうし)なかい思愛(うみがな)さ、さってぃ大切(てえしち)に飼(か)らあっとおん。
 スペインぬ闘牛ねえし人んかい向(ん)かゆる事(くと)おむさっとぅ無(ね)えん。
 煽合(おおええ)すぬ前(めえ)ぬ牛ぬ前足(めえびしゃ)伸(ぬ)ばちゃい、土(んちゃ)、かかじたいする「手様(てぃいよう)足様(ふぃさよう)」ぬルーティンや、ちゃっさ、うじらあさくとぅ!。
 勝(か)っちゃる牛え、すがらさってぃ、背(ながに)んかい主ぬ家組(やあぐな、やあにんず)乗(ぬ)したいし、「があええ」叫(あ)びいすん。

【語句】
牛煽らせ合や、我が中学生ぬばすお、いいくる=闘牛は私が中学生の頃は、よく、
牛庭んじ飲み物売やあしみらっとおたる=闘牛場で飲料水を売りをさせられていた、
事んあてぃ、見じい慣りとおん=こともあって、見慣れている。
大人なてぃからあ、なんぞお見じゅる=大人になってからは、それほど見物する
暇ぬ無えらんたしが、生まりジマんかい=機会がなかったが、実家に
巡ゆる道中、同ぬ足なかい伸ばがてぃ=立ち回る序でに、足を伸ばして
んじゃるばすやん=みたのである。
煽らしい様やうんにいとぅ全ち変わらん=闘牛の仕方は、当時とまったく同じだった。
牛煽らせ合や生ちむししんだんでぃ言る人ん居しが=闘牛は動物虐待だと言う人もいるが、
沖縄ぬ牛煽らせ合んかいや、むさっとぅ当たらん=沖縄の闘牛はそれにはまったく当たらない。
牛え主なかい思愛さ、さってぃ=闘牛は飼い主に愛情を注がれ
大切に飼らあっとおん=大事に飼われている。
スペインぬ闘牛ねえし人んかい=スぺインの闘牛のように、人に
向かゆる事おむさっとぅ無えん=突進することは、全くない
煽合すぬ前ぬ牛ぬ前足伸ばちゃい=試合前に闘牛が前足を屈伸したり、
土、かかじたいする「手様足様」ぬ=土を蹴り均したりする仕草
ルーティンや、ちゃっさ、うじらあさくとぅ!=ルーティンは、どれだけ、可愛いことか!
勝っちゃる牛え、すがらさってぃ=勝利した牛は、着飾られ、
背んかい主ぬ家組乗したいし=背に飼い主の家族を乗せたりして
「があええ」叫びいすん=勝利の雄たけびをする

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