安里川ぬ水森(那覇市)

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 くまあ末吉(しいし)ぬ北(にし)むてぃいんかいある森(むい)ぬ中(なか、なあか)なてぃ、又(また)公園ぬんなとおん。
 奥(うく)んかい流(なが)り水(みじ)ぬあてぃ側傍(すばふぃら)んかいある札(ふだ)んかい「安里川(あさとぅがあ)ぬ源流」やる風儀(ふうじ)ぬ字(じい)ぬ書(か)かっとおん。
 くぬ森、隔(ふぃざ)みてぃぬ彼方(あが)あ大名町。考(かんげ)えてい見(に)いねえ、那覇(なあふぁ)ねえぬ大都市(うふまちがた)んかい、くふぃぬ大ぎ森ぬ一方(ちゅかた)なてぃあしえ、目張(みいは)い事(ぐとぅ)やい又(また)ゐいりさんあん。
 平生(ふぃいじい)や川水(かあみじ)ぬまあからが流(なが)りてぃ来(ち)ゅうらあ、考(かんげ)えらんでぃんさんしが、確(たし)かに源(むとぅ)ぬありわる何事(ぬうぐとぅ)んある。
 今(なま)ぬ安里川や逆立(さかだ)ちしん、美(ちゅ)ら川んでえ言(い)ららんしが、昔(んかし)ぬ絵(いい)、見(ん)じねえ、実に美ら風景画(ちしちぬええ)やん。
 又他所国(ゆすぐに)から那覇港(なふぁ)、泊港(とぅまい)んでえんかい入(い)っち来ゅうる色(いる)んな品物(しなむぬ)ゆ首里(しゅい)んかいかやあする帆舟(ふうしん)ぬ走(は)ゆる川んやたん。

【語句】
くまあ末吉ぬ北むてぃいんかいある=ここは末吉の北側ぬある
森ぬ中なてぃ、又公園ぬんなとおん=森の中で公演でもある
奥んかい流り水ぬあてぃ側傍んかいある札んかい='奥には流水があり、近くにある立て札に
「安里川ぬ源流」やる風儀ぬ字ぬ書かっとおん=「安里川の源流」である旨が記述されている
くぬ森ぬ隔みてぃぬ彼方あ大名町=この森を隔てて向うは大名町
考えてい見にいねえ、那覇ねえぬ大都市んかい=考えてみれば、那覇のような大都市に
くふぃぬ大ぎ森ぬ一方なてぃあしえ=これだけの大きな森がまとまってあるのは
目張い事やい又ゐいりさんあん=驚くべきことであると同時にわくわくすることでもある
平生や川水ぬまあからが流りてぃ来ゅうらあ=普段は川水がどこから流れてくるのか、
考えらんでぃんさんしが、確かに源ぬありわる何事んある=考えようともしないが、確かに源があってこその物事が存在するのである。
今ぬ安里川や逆立ちしん、美ら川んでえ言ららんしが=今の安里川は逆立ちしても、美しいとは言えないが、
昔ぬ絵、見じねえ、実に美ら風景画やん=昔の絵画を見ると実に美しい風景画である。
又他所国から那覇港、泊港んでえんかい入っち来ゅうる=また外国から那覇港や泊港等に入ってくる
色んな物ゆ首里んかいかやあする=さまざまな物質を首里に運ぶ
帆舟ぬ走ゆる川んやたん=帆掛け船が走る川でもあった。

浦添城跡(浦添市)

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 写真(しゃしん)からあ新物(みいむん)ねえそおしが、造(つく)い直(のお)ちぇえるむぬどぅやる。
 浦添城(うらしいぐしく)や為朝(たみとぅむぬ)伝説(ちてえばなし)、引提(ふぃっさ)ぎとおる舜天世(ゆう)からぬむんでぃ伝(ちて)えらっとおしが、伝え話くるが切(ち)り端(ふぁ)ん無(ね)えんむんやくとぅ、実(じゅん)にがやら分からん。
 あまみちゅうぬ子孫(しすん)なやあに王統(おうとう)ぬ初(はじ)まいんでぃ言らっとおる天孫子んまあんかいが居(をぅ)たらあしかっとお分(わ)かてえ居らん。
 やしが、くまんかい英祖(いいす)王が居たんでぃぬ話や色(いる)んな系図(ちいじ)そうなむんから、実にやいぎさい、琉球(るうちゅう)ぬ国(くに)とぅしちぬ創(はじ)まいやくまからがやたら。
 地名(ぢいなあ)ぬ「うらしい」ん「うらうすい」、言(い)いどぅんせえ、「うら」あ「国」、「うすい」や「覆い」ぬ積合(っちむええ)やん。
 「国うすゆん」んでえ、「国覆いたっくゎあち、かきゆん」でぃぬ積合んかいなゆん。
 実に「うららしい」んでえ国ぬ中心(なかじん)又(また)王都(ゑえぐに)んかい相応(ふさ)とおる名(なあ)やあらに。

【語句】
写真からあ新物ねえそおしが、造い直ちぇえるむぬどぅやる=写真からはきれいに見えるが復元したものである。
浦添城や為朝伝説、引提ぎとおる舜天世からぬ=浦添城は為朝伝説を伴う舜天時代からの
むんでぃ伝えらっとおしが、伝え話くるが=ものだと伝えられているが、伝説自体が
切り端ん無えんむんやくとぅ、実にがやら分からん=あいまいなので事実からどうか知らない。
あまみちゅうぬ子孫なやあに王統ぬ初まいんでぃ=アマミキヨの子孫とされ、王統の初まりと
言らっとおる天孫子んまあんかいが居たらあ=言われている天孫子(王統)もどこにいたのか、
しかっとお分かてえ居らん=ちゃんとしたことは分かっていない。
やしが、くまんかい英祖王が居たんでぃぬ話や=だが、ここに英祖王がいたという話は、
色んな系図そうなむんから、実にやいぎさい=さまざまな系図の類からして、事実っぽいし、
琉球ぬ国とぅしちぬ創まいやくまからがやたら=琉球が(組織だった)国としての創まりはここだったろうか。
地名ぬ「うらしい」ん「うらうすい」=地名の「うらしい」も「うらうすい」
言いどぅんせえ、「うら」あ「国」=つまり、「うら」は「国」、
「うすい」や「覆い」ぬ積合やん=「うすい」は「覆い」の意味である。
「国うすゆん」んでえ=「国を覆う」ということは、
「国覆いたっくゎあち、かきゆん」=「全土を覆い尽く(カバー)して支配する」
でぃぬ積合んかいなゆん=との意味になる。
実に「うららしい」んでぃぬ地名や国ぬ中心=実に「うらしい」という地名は国の中心、
又王都んかい相応とおる名やあらに=そして、王都に相応しい地名ではないのか。

注:「浦添」の「しい」は「襲う」の名詞形とする説や「しい」は「しゅい」で「按司しゅい」=「按司様」のように敬称を表す語とする説などの説があります。

勝連城南旧道(うるま市)

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 長(なげ)げえさ行(ん)じぇえんだんたる勝連城(かっちんぐしく)んかい、ぬばがたれえ、古南道(ふるふぇえみち)ぬ堀(ふ)い返(けえ)らさっとおたん。
 勝連城んかいや童(わらび)ぬばすかふら幾(いく)けんが行(ん)じゃらあ計算(さんみん)ならんあたい、行(ん)じゃしが、古南道見(ぬ)うしえ初(はじ)みてぃやたん。
 うぬ道ぬ下(しちゃ)まんぐらんかい古南南風原村(ふるふぇえばるむら)ぬあたる筈(はじ)やい、またくぬ道え、与那原(ゆなばる)から船軍(ふないくさ)押(う)し寄(ゆ)してぃ来(ち)ゃる首里軍(しゅいいくさ)ぬ押し登(ぬぶ)てぃ来ゃる道んやら筈(はじ)。
 やぐとぅ、今(なま)、写真(しゃしん)から見(ん)じいねえ、ギンネムんでえぬ山丈(やまだき)、巻(ま)ち喰(くゎ)あち、只(ただ)ぬ畑道小(はるみちぐゎあ)ぬ如(ぐと)どぅあしが、歴史(りちし)からしいねえ、あたらさんあい、肝要(かんぬう)な道跡(みちいあとぅ)やん。
 うんな道ぬある事(くと)お前々(めえめえ)から分(わ)かとおたしが、他(ふか)にんする事(くとぅ)ぬまんでぃがやたら、今(なま)どぅ掘い返しぬ手組(ていぐみ)んなたるばすやら筈。
 勝連城ぬ丸回(まんま)るうや、なあふぃん、堀い返えち拵(くしれ)えいねえ、昔(んかし)ぬ姿(しがた)んかい似(に)いがすらん分(わ)からん。


【語句】
長げえさ行じぇえんだんたる勝連城んかい=久しぶりに勝連城に
ぬばがたれえ、古南道ぬ堀い返らさっとおたん=足を伸ばしてみたら、旧南道が発掘されていた。
勝連城んかいや童ぬばすかふら幾けんが行じゃらあ=勝連城には子供の頃から何回行ったか、
計算ならんあたい、行じゃしが=計算できないほど、行ったが、
古南道見うしえ初みてぃやたん=旧南道を見るのは初めてだった。
うぬ道ぬ下まんぐらんかい古南南風原村ぬあたる筈やい=その道の下あたりには旧南風原村があった筈であり、
またくぬ道え、与那原から船軍押し寄してぃ来ゃる=またこの道は与那原から海路、戦船で攻めてきた
首里軍ぬ押し登てぃ来ゃる道んやら筈=首里軍が馳せ登った道でもあるかもしれない。
やぐとぅ、今、写真から見じいねえ=だから、今写真から見ただけでは、
ギンネムんでえぬ山丈、巻ち喰あち、只ぬ畑道小ぬ=ギンネム等が身体を覆いつくすほど生い茂り、只の畑道の
如どぅあしが、歴史からしいねえ、あたらさんあい、肝要な道跡やん=のようなのであるが、歴史的には貴重かつ重要な遺跡である。
うんな道ぬある事お前々から分かとおたしが=こんな道が存在することは以前から知られていたが
他にんする事ぬまんでぃがやたら、今どぅ掘い返しぬ=(関係機関・団体は)他にもやることが多く、最近になって発掘の
手組んなたるばすやら筈=手配でいたのかもしれない。
勝連城ぬ丸回るうや、なあふぃん、堀い返えち=勝連城の周囲はもっと、発掘して、
拵えいねえ、昔ぬ姿んかい似いがすらん分からん=整備すれば、嘗ての姿に似るかもしれない。
ギャラリー
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