2011年08月

座喜味城(読谷村)

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 「松風騒ぐ丘の上、古城をひとり何偲ぶ」(三橋美智也)んでぃぬ歌ぬ如(ぐとぅ)、座喜味城(ざちみぐしく)や、ちゅら松(まあち)ぬ木(きい)なかい囲(かく)まあらっとおん。15世紀(じゅうぐしいち)ぬ初(はじ)み頃(ぐる)、護佐丸(ぐさまる)ぬ造(ちゅく)たんでぃぬ事(くとぅ)。尚巴志ぬ臣下(しんか)とぅなやあに、三山統一ぬ一番ぬ功労者やしえやたしが、三山ぬ一角んかいあいがなあ独立国風儀(ふうじい)ぬ勝連城(かっちんぐしく)に比(く)なびいねえ、座喜味城や、風儀(ふうじ)ん無(ね)えらんあたい、ぐなさたん。護佐丸や、意地出(いじん)じゃち、でえじなぬまぎさる中城城迄(なかぐしくぐしくまでぃ)ん造たん。うぬ故(ゆい)がやら、勝連(かっちん)からん、首里(しゅい)からん、目付(みいち)きらってぃ、けえ滅(ふる)ぶる事(くとぅ)んかい成たん。


【語句】
んでぃぬ歌ぬ如=という歌のように、
座喜味城や=座喜味城は、
ちゅら松ぬ木なかい=美しい松の木に
囲まあらっとおん=囲まれている。
15世紀ぬ初み頃=15世紀の初め頃、
護佐丸ぬ造たんでぃぬ事=護佐丸が造ったとの事。
尚巴志ぬ臣下とぅなやあに=尚巴志の臣下になり、
三山統一ぬ一番ぬ功労者やしえやたしが=三山統一の一番の功労者だったが、
三山ぬ一角んかいあいがなあ=三山の一角にありながら、
独立国風儀ぬ勝連城に比なびいねえ=独立国家のようであった勝連城に比べれば、
座喜味城や、風儀ん無えらんあたい=座喜味城は、みっともないくらい
ぐなさたん=小さかった。
護佐丸や、意地出じゃち=護佐丸は、意地を出して、
でえじなぬまぎさる中城城迄ん造たん=大変大きな中城城をも造った。
うぬ故がやら=そのためだったのか。
勝連からん、首里からん=勝連からも、首里からも、
目付きらってぃ=警戒され
けえ滅ぶる事んかい成たん=滅ぶることになってしまった。「けえ」は「~しまう」の意味の副詞で、動詞の前に付く。

谷茶前ぬ浜(恩納村)

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 ♪谷茶前(たんちゃめえ)ぬ浜(はま)に、スルル小(ぐぁあ)ぬ寄(ゆ)てぃてぃんどう♪(「谷茶前ぬ浜」)でぃち歌(うた)あらっとおる「谷茶前ぬ浜」でぃしえ、くぬ浜がやら。恩納村字谷茶(うんなそんあざたんちゃ)んあぬ浜やくとぅ、いやでぃんくぬ浜やる筈(はじ)。「ちゅら浜(ばま)」ぬ事(くと)お「前ぬ浜」でぃが言(ゆ)ら。古典民謡(うふぶし)んかいん「前ぬ浜」でぃしんあい、宮古(なあく)んかいん「与那覇前浜(ゆなふぁまいはま)」でぃぬちゅら浜ぬあん。やしが今(なま)あ、くぬ浜んかい♪兄達(あひたあ)やうり取(とぅ)いが、あん小(ぐぁあ)や、かみてぃうり売(う)いが♪(「谷茶前ぬ浜」)行(い)ちゅるあたい、魚小(いゆぐぁあ、ゆうぐぁあ)ぬ寄(ゆ)てぃ来(ち)ゅうんでぃぬ話(はなし)や、聞(ち)ちぇえ見(ん)だん。

【語句】
谷茶前ぬ浜に=谷茶前ぬ浜に、話しことばでは、普通は「谷茶前ぬ浜んかい」となる。
スルル小ぬ=小魚のこと。きびなご。
寄てぃてぃんどう=寄って来るよ
でぃち歌あらっとおる=と歌われている
「谷茶前ぬ浜」でぃしえ=「谷茶前ぬ浜」というのは、
くぬ浜がやら=この浜なおだろうか。
恩納村字谷茶んあぬ浜やくとぅ=恩納村字谷茶にある浜だから、
いやでぃんくぬ浜やる筈=きっと、この浜にかも。
「ちゅら浜」ぬ事お=美しい浜の事を
「前ぬ浜」でぃが言ら=「前の浜」というのだろうか。
古典民謡んかいん=古典民謡にも
「前ぬ浜」でぃしんあい=「前の浜」とのもあるし、
宮古んかいん=宮古にも
「与那覇前浜」でぃぬちゅら浜ぬあん=「与那覇前浜」という美しい浜がある。
やしが今あ=だけど今は
くぬ浜んかい=この浜に
兄達やうり取いが=お兄さん達は、それ(小魚)を取りに、
あん小や=女の子たちは
かみてぃうり売いが=頭に、それ(笊に入れた小魚)を載せて、売りに。「かみゆん」は、「頭に物を載せて運ぶ」ことを言い、東南アジアの文化圏の一員であることが分かる。ただし、国頭地方には、こうした習慣(文化)は無く、物を入れた籠や笊などに通した紐を額などの前頭に掛けて運ぶようである。これを「はさぎいん」という。
行ちゅるあたい=行くほどに、
魚小ぬ寄てぃ来ゅうんでぃぬ話しや=小魚が寄ってくるという話は、
聞ちぇえ見だん=聞いた事が無い。
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