2013年03月

末吉の石道(那覇市)

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 今(なま)ぬ末吉(しいし)宮ぬ南(ふぇえ)むてぃいんかい長石道(ながいしみち)ぬあん。
 昔(んかし)ぬ宿道(しゅくみち)がやたら、東(あがり)え首里(すい)ぬ平良(てえら)まんぐら迄(までぃ)通(とぅう)とおたる筈(はじ)やしが、西(いりい)やまあ迄が通(とぅう)とおたら。今あ人一人(ちゅちゅい)ん通らんしからあさる道なとおん。
 我勘違(わあかんちげ)えあらんでえ、玉城(たまぐしく)朝薫ぬ書ちぇえる組踊「執心鐘入り」ぬ舞台(ぶてえ)や末吉宮ぬ下(しちゃ)んかいあたる「末吉ぬ寺(てぃら)」(遍照寺、元お、万寿寺)がうぬモデルとぅなとおんでぃぬ事(くとぅ)?。
 やれえ、中城若松(なかぐしくわかまち)ぬ女(ゐなぐ、鬼)なかい追(わ)あってぃちゃしえ、くぬ道ぬ積(ち、つぃ)むええ?。あんせえ、くぬ道え鬼道(うにみち)?何(ぬう)がやら恐(うとぅ)るさぬ後(くさあ)とぅん返(けえ)たいさん。

【語句】
今ぬ末吉)宮ぬ南むてぃいんかい=現在の末吉宮の南側に
長石(畳)道ぬあん=石造りの長い道がある。「石道」は首里金城町の「石畳」が有名すぎて、「石畳(いしだたん)」が一般的?となった。
昔ぬ宿道がやたら=昔の街道(公道)だったのか。「石道」は大抵公道であった。
東え首里ぬ平良まんぐら迄=東は首里平良あたりまで、
通とおたる筈やしが=続いていたはずであるが、
西やまあ迄が通とおたら=西はどこまで続いていたのだろうか。
今あ人一人ん通らん=現在は、人っ子一人も通らない
しからあさる道なとおん=寂しい道となっている。
我勘違えあらんでえ=私の勘違いでなければ、 
玉城朝薫ぬ書ちぇえる=玉城朝薫の書いた
組踊「執心鐘入り」ぬ舞台や=組踊「執心鐘入り」の舞台は、
末吉宮ぬ下んかいあたる=末吉宮の下にあった
「末吉ぬ寺」(遍照寺、元お、万寿寺)が=「末吉の寺」(遍照寺、元は万寿寺)が、
うぬモデルとぅなとおんでぃぬ事?=そのモデルとなったとのこと?。
やれえ=であるなら、
中城若松ぬ女(鬼)なかい=中城若松が女(鬼)に 「若松(わかまち)」は首里語では「まかまつぃ」。(開音の「つ」は合音では「つぃ」となる。那覇系は一部を除き「ち」。)
追(わ)あってぃちゃしえ=追いかけられてきたのは、 「追(う)うらってぃちゃしえ」ともいう。
くぬ道ぬ積むええ?=この道がモデル?
あんせえ、くぬ道え鬼道=なら、この道は鬼道(ということ)?。
何がやら恐るさぬ=何だか恐いので、
後とぅん返たいさん=後を振り返ったりした。

勝連城址(うるま市)

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 勝連城祉(かっちんぐしくあとぅ)お、前(めえ)や幾(いく)けぬん載(ぬ)してぃちゃるむぬやしが、近頃(ちかぐる)お、あまくま工(くう)さってぃ、ちゅらくなとおくとぅ、またん載(ぬ)しら。
 地形的(ちきいてぃち)ねえ半島ぬ上(ゐい)んかい高上(たかあ)がいそおくとぅ、写真ぬん、他(ふか)ぬまぎ城(ぐしく)やかん撮(ぬ)じいぢゅらん。
 我(わあ)が中学生(ちゅうがくしい)やいにいや、観光客(かんこうちゃく)お、むっさとぅ、来(く)うんたしが、今(なま)あ、世界遺産(しけえいさん)ぬんかいなたる事(くとぅ)んあてぃがやら、多(うふ)くなとおん。
 山原(やんばる)から島尻迄見(しまじりまでぃみ)ゆる大(うふ)パノラマあ、実(じゅん)に、見事(みぐとぅ)やん。正門(じょう)や写真ぬくまぬ方(はた)なとん。
 うぬあたいうぬうぬ城お広(ふぃる)さたん。最後(いちばんあとぅ)ぬ主(ぬうし)やたる阿麻和利(あまわい)ぬ世迄(ゆうまで)え、勝連半島や沖縄一ぬはなぐにやたんでぃぬ事。

【語句】
勝連城祉お、前や=勝連城址は、以前にも、
幾けぬん載してぃちゃるむぬやしが=何度も掲載してきたが、
近頃お、あまくま工さってぃ=最近は、何箇所か、補修復元されて。「工(くう)」は「繕う」などの意味。
ちゅらくなとおくとぅ、またん載しら=美しくなっているので、またも掲載しよう。
地形的ねえ半島ぬ上んかい高上がいそおくとぅ=地形的には、半島の上に高々とあるので。「高上がい」は「高い所に位置すること」。
写真ぬん、他ぬまぎ城やかん=写真(写りも)も他の主な城より
撮じいぢゅらん=写りが良い。直訳は「写し美しい」。
我が中学生やいにいや=私が中学生の頃は。「やいにい」は「であったとき」。
観光客お、むっさとぅ=観光客は、全く
来うんたしが=来なかったが、
今あ、世界遺産ぬんかいなたる事んあてぃがやら=今は世界遺産になったこともあってか
多くなとおん=多くなっている。
山原から島尻迄見ゆる大パノラマあ=北部から南部まで見渡せる大パノラマは
実に、見事やん=実に見事だ。
正門や写真ぬくまぬ方なとん=正門は写真のこちら側になっている。
うぬあたいうぬうぬ城お広さたん=それほどその城は広かった。
最後ぬ主やたる阿麻和利ぬ世迄え=最後の城主であった阿麻和利の時代までは、
勝連半島や沖縄一ぬはなぐにやたんでぃぬ事=勝連半島は沖縄随一の繁華な地域だったそうだ。
ギャラリー
  • 残波岬Ⅱ(読谷村)
  • 平和通り(那覇市)
  • 首里城(那覇市)
  • ジョン万次郎記念碑(豊見城市)
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