2013年07月

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 首里城(うぐしく)んかいん龍箪池(いゆぐむい)ぬあんねえし、勝連城(かっちんぐしく)ぬ北(にし)むてぃいんかいん池(くむい)ぬあん。
 うぬ池が勝連城とぅ組(ぐう)なやあに、昔からぬむんがやたら分からのおあしが、まんぐらあ、松毛(まあちもう)なとおくとぅ、昔(んかし)え風儀(ふうじ)ぬあたる筈(はじ)。
 かあま昔からぬむんがやら分からんしが、名(なあ)や知らん。今(なま)あ、さぼうるがなあ、さぼうりとおん。勝連城址やか他(ふか)ぬ整備・復元普請(ぶしん)やさってえ居(をぅ)らんくとぅ、まんぐらんかいや、ビル・病院・変電所また他(ふか)にん、いるんなむんぬ造(ちゅく)い欲(ぶ)しゃ勝手(かってぃ)いし造らってぃ、やまけえちりとおる風儀。
 うるま市や勝連城址本体びけんやあらんようい、そうまりい、まんぐらぬ整備さあに、公園する如(ぐとぅ)、考(かんげ)えてぃ済(し)むのおあらに。

【語句】
首里城んかいん龍箪池ぬあんねえし=首里城にも龍箪池があるように、
勝連城ぬ北むてぃいんかいん池ぬあん=勝連城の北側にも池がある。
うぬ池が勝連城とぅなやあに=その池が勝連城の附帯施設として、
昔からぬむんがやたら=昔からのものであったが
分からなのおあしが=分からないけど、
ぬまんぐらあ、松毛なとおくとぅ=周囲は松の森になっているので、
昔え風儀ぬあたる筈=往時は風情があったことだろう。
かあま昔からぬむんがやら分からんしが=はるか昔からのもなのからは定かでないが、
名や知らん=その名は知らない。
今あ、さぼうるがなあ、さぼうりとおん=今は荒れるまま、放置されている。(意訳)。「さぼうるがなさぼうりとおん」は意訳通りの意味の慣用句として覚えておいた方がよいでしょう。
勝連城址やか他ぬ=勝連城址以外の  「やか他」は「以外に」。同意味で「くうとぅ(以外)」もある。
整備・復元普請やさってえ居らんくとぅ=整備・復元工事はされないから、
まんぐらんかいや=周辺には、
ビル・病院・変電所また他にん=ビル、病院、変電所その他にも、
いるんなむんぬ造い欲しゃ勝手いし=いろんな建造物が建て放題に、
造らってぃ、やまけえちりとおる風儀=建てられ(造られ)、収拾がつかなくなっているようだ。「やまちりゆん」は「ごちゃごちゃしている」、「混乱している」等の意味。「やま」は「野生」、「野蛮」等。
うるま市や勝連城址本体びけんやあらんようい=うるま市は勝連城址本体だけでなく、
そうまりい、まんぐらぬ整備さあに=早急に、周辺の整備を行い、  「そうまりい」は「早めに」、「早期に」の意味だが、『沖縄語辞典』にはない。
公園化する如=公園化するように
考えてぃん済むのおあらに=考えても良いではないか。 疑問詞「に」は、ローマ字表記(音素表記)を前提とし、ひらがな表記(音節表記)を前提としてない(註)ために、文法・品詞説明としては『』ローマ字表記では前語尾の「n」と疑問詞「i」の合成音としています。したがって、「み」(n→m+i)や「に」という疑問助詞は存在しない事として扱われていまが、琉球語の伝統的な漢字混じりひらがな表記をする筆者は、ひらがな表記をする以上、表記上姿をみせる「み」や「に」について、その品詞や文法説明もひらがなで説明を完結すべきだという考えから、独立した品詞として扱っています。当然ながら、『沖縄語辞典』には、品詞としても「に」も「み」もありません。

註:筆者は「おもろさうし」、「組踊脚本」等の漢字混じりのひらがはな表記を琉球語の伝統表記としてその継承を自認しているものです。『沖縄語辞典』は、筆者のような文章語がなされる事も、そのような実践者が登場する事を想定していたかどうかは定かではないが、少なくとも前提としてないないことはその編集の結果をみれば分かる。

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 首里高校ぬ裏道んかいあたる中山門(しちゃぬあやじょう)から守禮門(ゐいぬあやじょう)迄(まで)え、琉球国世(るうちゅうくくゆう)んじえ、綾門大道(あやじょううふみち)んでぃ言(い)ゃってぃ、車九軌(くるまくうち)ぬ幅(はば)ぬある一番ぬ大道(うふみち)やたしが、今(なま)あ一車線ぬ裏道(うらみち)どぅなとおる。
 昔(んかし)ぬ牛車(うすぐるま)んでえんやれえ、んちゃ今ぬ歩道ん合(あ)あしいねえ、幅九軌んでぃちん大物言(うふむぬい)いやあらん。
 薩摩(やまとぅ)が攻(し)みてぃ来(ち)ゃるばすん、ペリー提督が来ゃるばすん、また強(し)いて迄(までぃ)廃藩置県(へえはんちきん)すんでぃち、熊本鎮台が来ゃるばすん、くぬ道通(とぅう)てぃ、首里城(うぐしきく)んかい入っちゃん。
 うっさぬ歴史見(りちしん)っち来ゃる中山門や競売んかいかきらってぃ、湯風呂屋(ゆふるやあ)ぬ入(い)り札(ふだ)さる為(たみ)なかい、後(あとぅ)ぬうじゅみ、薪(たむん)とぅけえなやあに、無(ね)えらんなたん。

【語句】
首里高校ぬ裏道んかいあたる=首里高校の裏通りにあった
中山門から守禮門迄え=中山門から守禮門の間は、
琉球国世んじえ、綾門大道んでぃ言ゃってぃ=琉球国時代は綾門大道と呼ばれ、
車九軌ぬ幅ぬある=車(昔の牛や馬が引く車)のわだち(車幅)9台分もある
一番ぬ大道やたしが=一番の大通りであったが、
今あ一車線ぬ裏道どぅなとおる=現在は一車線の裏通りとなっている。「どぅ」は前語を強調する助詞で、次にくる用言「なとおん」は連体形「なとおる」で結ぶ。
昔ぬ牛車んでえんやれえ=昔の牛車などであれば、
んちゃ今ぬ歩道ん合あしいねえ=確かに、今の歩道も含めると、
幅九軌んでぃちん大物言いやあらん=車幅が九轍分あるといっても、大袈裟ではない。
薩摩が攻みてぃ来ゃるばすん=薩摩が侵攻したときも、  「薩摩」は王国時代は「やまとぅ」と称されていた。日本全体は「うふやまとぅ(大大和)」。
ペリー提督が来ゃるばすん=米国のペリー提督が来訪したときも、
また強いて迄、廃藩置県すんでぃち=また、廃藩置県を強行しようと、
熊本鎮台が来ゃるばすん=陸軍熊本軍部隊がやってきたときも、
くぬ道通てぃ、首里城んかい入っちゃん=この道を通って、首里城に入城した。
うっさぬ歴史見っち来ゃる中山門や=ずいぶんと歴史を眺めてきた中山門は、
競売んかいかきらってぃ=競売にかけられ、
湯風呂屋ぬ入り札さる為なかい=風呂屋が落札したために、
後ぬうじゅみ、薪とぅけえなやい、無えらんなたん=結局、薪と消えた。

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