2014年08月

イメージ 1

 松(まあち)ぬ木(きい)ぬあがたあんかい見(み)ゆしえ山原(やんばる)。
 18~19世紀(しいち)に琉球(るうちゅう)んかい来(ち)ゃるウランダアや琉球(るうちゅう)ぬ景色(ちいち)がまあぬ東南アジアうりに中国(とう)やかん美(ちゅ)さんでぃぬ思(うみ)い持(む)ちょおたんでぃぬ事(くとぅ)(参考『青い目が見た琉球』ニライ社)。
 ハイネぬ絵(いい)かいんある那覇(なあふぁ)から首里(しゅい)んかい上(ぬぶ)てぃ行(い)ちゅる崇元寺(すうぎんじ)、松川(まちがあ、まつぃがあ)ぬ大道(うふみち)ぬ景色ん、いっそういから並松(なんまち)どぅなとおる。
 石道(いしみち)なとおる街(まち)はじみ宿道(しゅくみち)ん琉球松(るうちゅうまあち)しなとおる並松やたん。
 かわてぃ琉球松ぬる実(じゅん)に琉球ぬ景色飾(かざ)とおたるむぬやんでぃ言(い)ちん、大物言(うふむに)いやあらんでぃ我(わん)ねえ自(どぅう)考(かんげ)えそおん。
 やしがうぬ琉球松ん、いいくる戦争(いくさ)なかいさってぃ昔(んかし)ぬ面影(うむかじ)え、ちんじんとぅる残(ぬく)とおる。

註:台風後ぬ撮影なやあに、倒りとおる木とぅか折りとおる枝んでえぬぬがっとおん。

【語句】
松ぬ木ぬあがたあんかい見ゆしえ山原=松の木の彼方に見えるの北部。
18~19世紀に琉球んかい来ゃるウランダアや=18~19世紀に琉球を訪れた欧米人は
琉球ぬ景色がまあぬ東南アジアうりに中国やかん=琉球の景色がどの東南アジアそれに中国よりも
美さんでぃぬ思い持ちょおたんでぃぬ事(参考『青い目が見た琉球』ニライ社)=美しいとの印象を抱いていたの事(参『青い目がみた琉球』ニライ社」)。
ハイネぬ絵かいんある那覇から首里んかい上てぃ行ちゅる=ハイネの絵にある那覇から首里に上る
崇元寺、松川ぬ大道ぬ景色ん=崇元寺、松川の大通りの景色も
いっそういから並松どぅなとおる=片っ端から松並木になっている。
石道なとおる街はじみ宿道ん琉球松しなとおる並松やたん=石畳になっている街並み初め、国道も琉球松からなる松並木であった。
かわてぃ琉球松ぬる実に琉球ぬ景色飾とおたるむぬやんでぃ言ちん=まさしくに琉球松こそ本当に琉球の景色を形作っていたものだと言っても
大物言いやあらんでぃ我ねえ自考えそおん=大げさではないと私は勝手に思っている。
やしがうぬ琉球松ん、いいくる戦争なかいさってぃ=だが、その琉球松も戦争にやられ、
昔ぬ面影え、ちんじんとぅる残とおる=昔の面影はところどころにしか残っていない。

註:台風後ぬ撮影にゃあに、倒りとおる木とぅか折りとおる枝んでえぬあいびいん=台風後の撮影のため、倒れた木や折れた枝などが写っている。

イメージ 1

  大地(うふじ)ぬ西(いり)ぬ海端(うみばた)あ、復帰後(ふっちあと)お観光客(かんこうちゃく)ぬうわあちがやら、ホテルん建ちまんでぃ、かわてぃ生(しょう)じてぃ美(ちゅ)ら町(まち)なとおん。

 やしが、海岸(うみばた)なありいん、又海岸ぬ内端(うちばた)なありいんかいん、やとぅ米軍基地(びいぐんちち)ぬ連(ちる)がとおん。
写真ぬ右(にじり)むてぃいや普天間(ふてぃんま)飛行場(海兵隊)なとおん。美ら島(じま)んでぃ言(い)ちん直(し)ぐぬ傍(すば)ひらあ基地(ちち)。
くぬ写真や嘉数高台(かかずむい)からぬむぬやしが、嘉数高台護獅ぬ碑(ふぃい)んかいや、「戦場(いくさ)に成たる嘉数高台や形や失(うし)てぃん沙汰(さた)や残(ぬく)ち」んでぃちあん。
 原形失(むとぅぬしがたうし)ゆるあたいぬ日米(にちびい)ぬ合戦(いくさ)や、如何(ちゃ)ぬ様(ゆう)なむぬがやたら。
碑文から美(ちゅら)らたる高台ぬ原形失たる区民(ちゅんちゃあ)ぬ腸苦(わたぐり)しゃ思(うみ)いぬ忍(しぬ)ばりゆん。

【語句】
大地ぬ西ぬ海端あ復帰後お=沖縄本島の西海岸は復帰後は、 「うふじ(沖縄本島)」は「うちなあ」、「じじ」ともいう。
観光客ぬうわあちがやらホテルんまんでぃ、=観光客が増えたためか、ホテルも多く、
かわてぃ生じてぃ美ら町なとおん=とりわけ、発展して美しい町になっている。
やしが、海岸なありいん又海岸ぬ内端なありいんかいん=だが、海岸沿いにもその内側にも、
やとぅ米軍基地ぬ連がとおん=巨大な米軍基地が続いている。
写真ぬ右むてぃいや普天間飛行場(海兵隊)なとおん=写真の右側(写ってないが)普天間飛行場になっている。
美ら島んでぃ言ちん直ぐ傍あ基地=美しい島とは言って直ぐ傍は基地。
くぬ写真や嘉数高台からぬむぬやしが=この写真は嘉数高台からのものであるが、
嘉数高台護獅ぬ碑んかいや=嘉数高台護獅の碑には、
「戦場に成たる嘉数高台や形や失てぃん沙汰や残ち」んでぃちあん=「戦場になった嘉数高台は形を失っても沙汰は残し」とある。
原形失ゆるあたいぬ日米ぬ合戦や=原形を失うほどの日米の戦闘は、
如何ぬ様なむぬがやたら=どのようなものだったのであろうか。註:当地における戦闘には主には京都からの部隊が戦かった事もあって、京都の慰霊の碑が当高台にある。
碑文から美らたる高台ぬ原形失たる区民ぬ=この碑文から美しかった高台の原形を失った区民の
腸苦しゃ思いぬ忍ばりゆん=煮えくり返る程の口惜しさが忍ばれる。

↑このページのトップヘ