天間満宮(ふてぃんまぐう)や「神仏習合」ぬ寺(てぃら)やん。
くまんかいや色(いる)んな伝(ちて)え話(ばなし)ぬあしが、尚泰久王(おう)ぬぎれえたるむぬやんでぃぬ事(くとぅ)。
尚泰久王ぬ世(ゆう)や、護佐丸(ぐさまる)、阿麻和利(あまうい)、大城賢勇(うふぐしくけんゆう)んでえぬ中山(ちゅうざん)ぬ按司(あじ)ん達(ちゃあ)ぬ戦(いくさ)さる乱(みだ)り世(ゆう)やたん。
乱り世んでぃ言(ゆ)しやか、尚泰久王が中山ぬんかい残(ぬく)とおるたる主立(うむだ)ちゅる按司ん達、片付(かた)きゆる為(たみ)ぬ戦世がやたらん分からん。
あんし、尚泰久王や供養(くよう)ぬ積合(ちむええ)がやたら、くぬ普天満宮(ふてぃんまぐう)かたくじら琉球(るうちゅう)ぬあまくまんかいちゃっさきいぬ神仏寺(てぃら)造(ちゅく)たん。
やしが琉球や聞得大君(ちふぃじん)ぬ構(かむ)ゆる御嶽御願(うたきうぐぁん)ぬ国(くに)どぅやるむぬ、神仏寺ぎれえゆんでえ、ふぃるましむぬんやたん。
うぬ話(なはしい)や措(う)ち、普天満宮ぬくさあ、写真ぬ後(くさあ)むてぃいんかい、米軍基地(びいぐんちち)ぬあしよお、風儀(ふうじ)ん無(ねえ)えらん。
くまんかいや色(いる)んな伝(ちて)え話(ばなし)ぬあしが、尚泰久王(おう)ぬぎれえたるむぬやんでぃぬ事(くとぅ)。
尚泰久王ぬ世(ゆう)や、護佐丸(ぐさまる)、阿麻和利(あまうい)、大城賢勇(うふぐしくけんゆう)んでえぬ中山(ちゅうざん)ぬ按司(あじ)ん達(ちゃあ)ぬ戦(いくさ)さる乱(みだ)り世(ゆう)やたん。
乱り世んでぃ言(ゆ)しやか、尚泰久王が中山ぬんかい残(ぬく)とおるたる主立(うむだ)ちゅる按司ん達、片付(かた)きゆる為(たみ)ぬ戦世がやたらん分からん。
あんし、尚泰久王や供養(くよう)ぬ積合(ちむええ)がやたら、くぬ普天満宮(ふてぃんまぐう)かたくじら琉球(るうちゅう)ぬあまくまんかいちゃっさきいぬ神仏寺(てぃら)造(ちゅく)たん。
やしが琉球や聞得大君(ちふぃじん)ぬ構(かむ)ゆる御嶽御願(うたきうぐぁん)ぬ国(くに)どぅやるむぬ、神仏寺ぎれえゆんでえ、ふぃるましむぬんやたん。
うぬ話(なはしい)や措(う)ち、普天満宮ぬくさあ、写真ぬ後(くさあ)むてぃいんかい、米軍基地(びいぐんちち)ぬあしよお、風儀(ふうじ)ん無(ねえ)えらん。
【語句】
天間満宮や「神仏習合」ぬ寺やん=普天満宮は神仏習合の寺である。すなわち、東寺真言宗の寺と神社の両方がある。
くまんかいや色んな伝え話ぬあしが=ここのには色んな伝説があるが、
尚泰久王ぬぎれえたるむぬやんでぃぬ事=(いずれにせよ)尚泰久王が造営したものであるとのこと。
尚泰久王ぬ世や、護佐丸、阿麻和利、大城賢勇んでえぬ=尚泰久王の時世は護佐丸、阿麻和利、大城賢勇といった、
中山ぬ按司ん達ぬ戦さる乱り世やたん=中山豪族らが戦争をした乱世であった。
乱り世んでぃ言しやか、尚泰久王が中山ぬんかい残とおるたる=乱世というより、尚泰久王が中山(勢力の一部)としていた、中山が琉球を統一したと言っても、北山、南山を滅ぼしただけ、中山国自体は国内按司の連合国に過ぎなかった。したがって、有力で手ごわい護佐丸(中城城)、阿麻和利(勝連城)、大城賢勇(越来城)らは温存され、首里に忠誠を誓いつつも、その勢力は強大であり、尚家にとっては恐怖であったため、首里の尚泰久は中城護佐丸からは嫁を貰い、娘を勝連阿麻和利に嫁がせたりしていたが、恐怖は収まらなかった。勿論、勝利者の歴史書にはこれらの感触はない。
主立ちゅる按司ん達、片付きゆる為ぬ戦世がやたらん分からん=主な豪族を一掃する為の戦争時代だったかも知れない。
あんし、尚泰久王や供養ぬ積合がやたら=そして、尚泰久王は、(これらの豪族たちの)供養の積りだったのか、
くぬ普天満宮かたくじら琉球ぬ=この普天間宮はじめ、琉球の
あまくまんかいちゃっさきいぬ神仏寺造たん=あちこちに神仏寺を造営したのである。
やしが琉球や聞得大君ぬ構ゆる御嶽御願ぬ国どぅやるむぬ=だが、琉球は聞得大君が管理する御嶽新興の国であるのに
神仏寺ぎれえゆんでえ、ふぃるましむぬんやたん=神社、仏閣を造営するというのは、妙であった。
うぬ話や措ち、普天満宮ぬくさあ、写真ぬ後むてぃいんかい=その話はさておき、普天間宮の後(写真の後)に
米軍基地ぬあしよお、うぬ景色え風儀ん無えらん=米軍基地のあることよ、風景的にみっともない。
天間満宮や「神仏習合」ぬ寺やん=普天満宮は神仏習合の寺である。すなわち、東寺真言宗の寺と神社の両方がある。
くまんかいや色んな伝え話ぬあしが=ここのには色んな伝説があるが、
尚泰久王ぬぎれえたるむぬやんでぃぬ事=(いずれにせよ)尚泰久王が造営したものであるとのこと。
尚泰久王ぬ世や、護佐丸、阿麻和利、大城賢勇んでえぬ=尚泰久王の時世は護佐丸、阿麻和利、大城賢勇といった、
中山ぬ按司ん達ぬ戦さる乱り世やたん=中山豪族らが戦争をした乱世であった。
乱り世んでぃ言しやか、尚泰久王が中山ぬんかい残とおるたる=乱世というより、尚泰久王が中山(勢力の一部)としていた、中山が琉球を統一したと言っても、北山、南山を滅ぼしただけ、中山国自体は国内按司の連合国に過ぎなかった。したがって、有力で手ごわい護佐丸(中城城)、阿麻和利(勝連城)、大城賢勇(越来城)らは温存され、首里に忠誠を誓いつつも、その勢力は強大であり、尚家にとっては恐怖であったため、首里の尚泰久は中城護佐丸からは嫁を貰い、娘を勝連阿麻和利に嫁がせたりしていたが、恐怖は収まらなかった。勿論、勝利者の歴史書にはこれらの感触はない。
主立ちゅる按司ん達、片付きゆる為ぬ戦世がやたらん分からん=主な豪族を一掃する為の戦争時代だったかも知れない。
あんし、尚泰久王や供養ぬ積合がやたら=そして、尚泰久王は、(これらの豪族たちの)供養の積りだったのか、
くぬ普天満宮かたくじら琉球ぬ=この普天間宮はじめ、琉球の
あまくまんかいちゃっさきいぬ神仏寺造たん=あちこちに神仏寺を造営したのである。
やしが琉球や聞得大君ぬ構ゆる御嶽御願ぬ国どぅやるむぬ=だが、琉球は聞得大君が管理する御嶽新興の国であるのに
神仏寺ぎれえゆんでえ、ふぃるましむぬんやたん=神社、仏閣を造営するというのは、妙であった。
うぬ話や措ち、普天満宮ぬくさあ、写真ぬ後むてぃいんかい=その話はさておき、普天間宮の後(写真の後)に
米軍基地ぬあしよお、うぬ景色え風儀ん無えらん=米軍基地のあることよ、風景的にみっともない。