2016年12月

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 くまぬ道(みち)んじえくベンジャミンぬ並木(なんぎい)や、あいゆかん、ゆかとおん。
 枝(ゆだ)あ、いいくる道、覆(うす)ゆんねえし、うっちゃありてぃ、道えトンネルぬ如(ぐとぅ)どぅある。
 ベンジャミンやカジュマルとお、同(い、ゆ)ぬむん、地(じい)んかい植(ゐ)いいねえ、屋敷(やしち)ん壊(くう)するあたい、拡(ふぃる)がてぃ行(い)ちゅくとぅ、まるけえてぃなあや、枝(ゆだ)切(ち)ちゃいさんでえならん。
 やしが、くぬ道え、我(わあ)覚(うび)いなかいや、前(めえ)や、確(たし)か、人(ちゅ)二人(たい)ぐれえぬ歩(あ)っかりいるあたいぬ狭(いい)ば畑道小(はるみちぐぁあ)どぅやたる筈(はじ)んでぃ思(うむ)ゆん。
 まんぐらぬ畑(はたき)え、住宅地けえなやあに、人ぬ家(やあ)はじみ、アパートから店(まちや)から、我(わあ)から我からあし、ちゃあ建(た)ちいそおん。
 昔道(んかしみち)知(し)っちょおれえ、知っちょおるしゃく、実(じゅん)に、くまあ、まあがなとおらあんでぃち、とぅぬうまぬうする筈。

【語句】
くまぬ道んじえくベンジャミンぬ並木や=この道では、ベンジャミンの並木が
あいゆかん、ゆかとおん=とても、生い茂っている。
枝あ、いいくる道、覆ゆんねえし、うっちゃありてぃ=枝は、ほぼ道路を覆うように、伸びて、
道えトンネルぬ如どぅある=道路はまるでトンネルのようだ。
ベンジャミンやカジュマルとお、同ぬむん=ベンジャミンはガジュマルと同様、
地んかい植いいねえ、屋敷ん壊するあたい、拡がてぃ行ちゅくとぅ=地植えすると、屋敷を破壊するほど、拡がるので、
まるけえてぃなあや、枝切ちゃいさんでえならん=たまには、剪定をしないといけない。
やしが、くぬ道え、我覚いなかいや、前や確か=それにしても、この道路は、私の記憶では、以前は確か、
人二人ぐれえぬ歩っかりいるあたいぬ=人二人が歩ける程度の
狭ば畑道小どぅやたる筈んでぃ思ゆん=狭い農道だったように思う。
まんぐらぬ畑え、住宅地けえなやあに、人ぬ家はじみ=付近の農地は、住宅地に変わり、人家をはじめ、
アパートから店から、我から我からあし、ちゃあ建ちいそおん=アパートや店などが、競うように、建ち続けている。
昔道知っちょおれえ、知っちょおるしゃく=昔道を知っていれば、いるほど、
実に、くまあ、まあがなとおらあんでぃち、とぅぬうまぬうする筈=一体、ここはどこなのかと、迷うだろう

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 くぬ御嶽(うたき)え中山国王(ちゅうざんおう)ぬ東御廻(あがりうまあ)いするばす出(ん)じ立(た)ちする御嶽なてぃ、竹富島(だきどぅん)出(ん)じいぬ西唐(にしとう)ぬぎれえたるむぬやん。
 西唐や沖縄(うちなあ)とぅ先島(さちしま)とぅぬ間(ゑえだ)ぬ階(きざい)なとおたる肝要(かんぬう)な大役(てやく)やたん。
 オヤケアカハチぬ八重山方(いぇえまかた)とぅ仲宗根豊見親腹(なかずにとぅゆみゃ)ぬ宮古方(なあくがた)ぬ、うんにいや、なあだ仕明(せえき)さってえ居(をぅ)らんたる石垣島(いしがちじま)ゆ奪(ばあ)けえそおたるばす、西唐や宮古ぬ加勢(かしい)しいが戦寄(いくさゆ)してぃ来(ち)ゃる中山軍(ちゅうざんいくさ)ぬ方(かた)持(む)っちゃる為(たみ)なかい、戦後(いくさあとぅ)、首里(しゅい)んかい連(そ)うてぃ行(い)かったん。
 首里語(しゅいくとぅば)かたくじら墨(しみ)ん習(なら)あさったる西唐や石大工(いしぜえくう)んでえぬ技(わざ)さあ迄(までぃ)んなたん。
 仲宗根一門(なかずにいちむん)なかいか掛(か)きらっとおたる八重山ぬ事(くとぅ)考(かんげ)えいねえ、肝(ちむ)ん肝ならんたる筈(はじ)。
 聞(ち)くぃいぬ悪(わ)っさたる仲宗根一門ぬんかい代(け)えてぃ西唐や中山から竹富ぬ蔵元(くらむとぅ)んかい遣らさったん。
 八重山ぬ治(うさ)み方(がた)あ八重山人(ええまんちゅ)ぬ取(とぅ)い戻(むどぅ)ちゃる事んかいなたるしいじやん。
註:石垣島あ川原水(かあみじ)んまんでぃ、米(くみ)ぬ良(ゆ)う出来(でぃき)ゆる所(とぅくる)やたくとぅ、八重山とぅ宮古ぬ二所(たとぅくる)からん、仕明(せえ)きしい欲(ぶ)ゃる所(とぅくる)やたん。
【語句】
くぬ御嶽え中山国王ぬ東御廻いするばす出じ立ちする御嶽なてぃ=この拝所は中山国王が東御廻りする際の出発地点であり、
竹富島出じいぬ西唐ぬぎれえたるむぬやん=竹富島出身の西唐が建造したものである。
西唐や沖縄とぅ先島とぅぬ間ぬ階なとおたる肝要な大役やたん=西唐は本島と先島の間の架け橋となった重要な役目の人物だった。
オヤケアカハチぬ八重山方とぅ仲宗根豊見親腹ぬ宮古方ぬ=オヤケアカハチ率いる八重山勢と仲宗根豊見親率いる宮古勢が
うんにいや、なあだ仕明さってえ居らんたる石垣島ゆ奪けえそおたるばす=当時はまだ未開拓だった石垣島を争奪していた頃
西唐や宮古ぬ加勢しいが戦寄してぃ来ゃる中山軍ぬ方持っちゃる為なかい=西唐は宮古勢の支援に軍隊を派遣した中山の味方に付いたために、
戦後、首里んかい連うてぃ行かったん=戦後、(見込まれて)首里に連れて行かれた。
按司語かたくじら墨ん習あさったる西唐や=按司言葉はじめ学問を教えられて西唐は、
石大工んでえぬ技さあ迄んなたん=土木建築の技術も身に着けた。
仲宗根一門なかいか掛きらっとおたる八重山ぬ事考いえいねえ=仲宗根一族に支配されていた八重山の事を考えると、
肝ん肝ならんたる筈=心の置きどころもなかったであろう。
聞くぃいぬ悪っさたる仲宗根一門ぬんかい代えてぃ=(八重山で)評判の悪かった仲宗根一族に代わって
西唐や中山から竹富ぬ蔵元んかい遣らさったん=西唐は中山から竹富の蔵元(地元政府兼中山の出先)に派遣された。
八重山ぬ治み方あ八重山人ぬ取い戻ちゃる事んかいなたるしいじやん=八重山統治は(事実上)、八重山人が取り戻した事になったのである。
註:石垣島は水が豊富で稲作に適していたことが八重山(当時は竹富、波照間等今の離島が中心)側にも宮古側にも魅力であった。

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