2017年10月

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 八重瀬町(いぇえじ)んかいあぬ普通(ふつう)ぬ道(みち)どぅやしが、歩道(あっちみち)んかいや線路(しんる)ぬ形(かた)ぬ描(か)かっとおん。
 大正3年(にん)から沖縄(うちなあ)戦(いくさ)んじ壊(くう)さりいる迄(まで)えあたる沖縄県営鉄道糸満線(いとぅまんしん)ぬ線路跡(あとぅ)やん。
 旧世名城(むとぅゆなぐしく)駅(いき)から旧東風平(むとぅくちんだ)駅んかい向(ん)かとおん。
 線路ぬあたる所(とぅくる)お今(なま)あ小路(すうじ)けえなてぃ、大道(うふみち)え別(びち)んかいどぅある。
 沖縄やまあんくぃいん、新(みい)くに道ぬ造(つく)らっとおしが、くまん別(びち)えあらん。仕方(しかた)あ無(ね)えらのおあしが、たった、昔(んかし)ぬ沖縄とお、うち変(か)わてぃ行(ん)じょおん。
 写真(しゃしん)ぬ右上(にじりゐい)ぬ石碑文(ふぃむ)ぬんかい、軽便(けえびん)ぬ走(は)ゆる風景(ちいち)ぬ歌(うた)ぬ刻(きざ)まっとおん。
 「椰子(やあし)モウグワー トゥンヌブティ真南風(まふぇ)ンカティミリバ ドイツ式軽便ヌ 走(は)ユルチュラサ」
 実(じゅん)に如何(ちゃぬ)ぬ様(ゆう)な節(ふし)さあにが歌あらってぃが居(をぅ)たら。
 直(し)ぐ近(しか)くぬ小学校(しょうがっこう)ぬ生徒(しいとぅ)ん達(ちゃあ)や歩(あ)っちゅるうっさし、歴史(りちし)ぬ勉強(びんちょう)なゆさ。

【語句】
八重瀬んかいあぬ普通ぬ道どぅやしが=八重瀬町にある普通の道路なのであるが
歩道んかいや線路ぬ形ぬ描かっとおん=歩道には線路の絵が描かれている。
大正3年から沖縄戦んじ壊さりいる迄え=大正3年からから沖縄戦で破壊されるまでは、
あたる沖縄県営鉄道糸満線ぬ線路跡やん=存在していた沖縄県営鉄道糸満線の路線跡である。
旧世名城駅から旧東風平駅んかい向かとおん=旧世名城駅から旧東風平駅に続く。
線路ぬあたる所お今あ小路けえなてぃ=線路の通っていた所は今は脇道になってしまい、
大道え別んかいどぅある=メイン通りは別になっている。
沖縄やまあんくぃいん、新くに道ぬ造らっとおしが=沖縄では至ると懲りに新道が造られているが
くまん別えあらん=ここも例外ではない。
仕方あ無えらのおあしが、たった=仕方のない事ではあるが、ますます、
昔ぬ沖縄とお、うち変わてぃ行じょおん=昔の沖縄とは激変してしまっている。
写真ぬ右上ぬ石碑文ぬんかい=写真の右上の石碑に、
軽便ぬ走ゆる風景ぬ歌ぬ刻まっとおん=軽便が走る風景の歌が刻まれている。
「椰子モウグワー トゥンヌブティ=「椰子の原(或いは森か)を上ってみれば、*「トゥン」は「飛ん」であるが、ここでは強調語。「飛び上がれば」とは訳さない。
真南風ンカティミリバ=真南に向かって眺めれば
ドイツ式軽便ヌ 走ユルチュラサ」=ドイツ式軽便の走る美しさ」 *沖縄軽便には国産の他に、ドイツ製、英国製が走っていたが、県は自己財源で調達したという。
直ぐ近くぬ小学校ぬ生徒ん達や歩っちゅるうっさし=直ぐ近くの小学校の生徒達は歩くだけで
歴史ぬ勉強なゆさ=歴史の勉強になる

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 勝連まんぐらんかぬ伝え話どぅやる。
 昔え勝連南風原ぬ敷え勝連城ぬ南むてぃぬ傾りんかあたん。
 やしが、阿麻和利ぬ滅ぶさってぃ後お畑しい易っさる今ぬ所んかい敷替えいしちゃん。
 実え、与那城ぬ南むてぃんかいあたる内間ん写真ぬ今ぬ南風原んかい敷替えいすんでぃち、番所からきっさ許い得いとおたん。 
 やしが、南風原ぬ掟なやあに、又勝連賦ぬ当たいんそおたる勝連バーマー(前浜三郎)や、仲ぬ良たさたる御城ぬ役人とぅ言い合あち、今ぬ南風原んかい敷替えしみゆる事ぬなたん。
 内間あ仕方あならな、引ちなやあに、平安名ぬ東むてぃいぬ今ぬ敷んかい移たんでぃぬ事。
 勝連城ぬ南むてぃぬ坂敷え、今ちきてぃ、さぼうりてぃ、しからあさん。
 寝んでえ寝んでえ豆ん小びけんどぅふちゃあとおる。

【語句】
勝連南風原ぬ敷替えい=勝連南風原の集落移転。
勝連まんぐらんかぬ伝え話どぅやる=勝連方面の伝説である。
昔え勝連南風原ぬ敷え=昔は勝連南風原の集落は  注:「敷(しち)」とは「用地」の事で「集落」という意味ではない。ここでは「集落地」。
勝連城ぬ南むてぃぬ傾りんかあたん=勝連城の南側の傾斜地にあった。
やしが、阿麻和利ぬ滅ぶさってぃ後お=だが、阿麻和利が滅んで後は、
畑しい易っさる今ぬ所んかい敷替えいしちゃん=農業しやすい現在地に移転した。
実え、与那城ぬ南むてぃんかいあたる内間ん=実は、与那城の南側にあった内間も
写真ぬ今ぬ南風原んかい敷替えいすんでぃち=写真の現在の南風原に移転しようと
番所からきっさ許い得いとおたん=番所から、既に許可を得ていた。 
やしが、南風原ぬ掟なやあに=だが南風原の村長であり、
又勝連賦ぬ当たいんそおたる勝連バーマー(前浜三郎)や=同時に勝連賦役の担当をしていた勝連バーマー(前浜三郎)は、注:賦(ぶう)とは、国や間切から課せられた労働義務(税)。
仲ぬ良たさたる御城ぬ役人とぅ言い合あち=仲の良かった王府の役人と掛け合い
今ぬ南風原んかい敷替えしみゆる事ぬなたん=現在の南風原へ移転させる事ができた
内間あ仕方あならな、引ちなやあに=内間は仕方なく引き下がり、
平安名ぬ東むてぃいぬ今ぬ敷んかい移たんでぃぬ事=平安名の東側の現在の場所に移転したとの事
勝連城ぬ南むてぃぬ傾りえ、今ちきてぃ=勝連城の南側の傾斜地は、いまだに、
さぼうりてぃ、しからあさん=荒地であり、侘しい
寝んでえ寝んでえ豆ん小びけんどぅふちゃあとおる=ギンネムが生い茂っているだけである

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