2017年11月

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 与勝(かっちん)半島(はんとう)ぬ北側(にしむてぃい)から平安座島(ふぃんざじま)迄(までぃ)ぬ間(うゑえだ)あ、引(ふぃ)ち潮(うしゅ)ないね地(じい)ぬ大連(ううちる)があし、潟原(かたばる)風儀(ふうじい)ぬ遠浅(とぅうあさ)なゆん。
 橋(はし)ぬ架(か)きらりいる前迄(めえまで)え、いいくる、歩(あ)っち潮川渡(すうかあわた)いなうんでぃち、思(うみ)いばぺえし、渡い中(なか)らんじ、溺(んぶ)きてぃ亡(ま)あする人(ちゅ)ぬまんどおたん。
 あんし、くぬ遠浅(とぅう)あ幽霊(ゆうりい)所(どぅくる)んやたん。
 戦後(いくさあとく)ぬ一時(いっとぅちゃ)あ米軍(びいぐん)ぬ上陸艇、造(つく)い直(のお)ちぇえる海上トラックん歩(あ)ちょおたん。
 屋慶名人(やきなんちゅ)とぅ平安座人(ふぃんざんちゅ)お長(なげ)さ費(てえ)ち、海中道路迄(まで)造(つく)たん。
 うぬ後(あとぅ)、地(じい)ん人(ちゅ)ぬ反対(はんたい)押(う)し退(ぬ)きてぃ、平安座んかい石油(しちゆ)工場、造たる石油会社(しちゆぐぁいちゃ)ぬ石油かやあする為(やみ)なかい今(なま)ぬ海中道路造たるむぬやん。
 石油基地(ちち)ぬなゆる前(めえ)やくまぬ海ぬ浜(うみぬはまはま)あ人(ちゅ)ぬ歩(あ)っからんあたいがちちゃあぬぐぁさないし、まんどおしが、今(なま)あむさっとぅ居(をぅ)らんなとおん。
 今あ新(みい)海中道路お毎朝(めえあさ)、あまくまぬガソリンスタンドんかい石油かやあするトラックぬ大群さありそおん。

【語句】
与勝半島ぬ北側から平安座島迄ぬ間あ=与勝半島の北側から平安座島までの間は
引ち潮ないね地ぬ大連があし=引き潮になれば、すっかり地続きになり、
潟原風儀ぬ遠浅なゆん=干潟のような遠浅になる。
海中道路ぬ造らりいる前迄え=海中道路ができる前までは、
いいくる、歩っち潮川渡いなゆんでぃち、思いばぺえし=よく、歩いて渡れるものだと勘違いして、 註:「塩川渡い」とは「浅瀬を歩いて渡ること」の意味。
渡い中らんじ、溺きてぃ亡あする人ぬまんどおたん=歩いている途中で溺れて死ぬ人が多かった
あんし、くぬ遠浅あ幽霊所とぅんなたん=そしてこの遠浅は幽霊の名所ともなった。
戦後ぬ一時あ米軍ぬ上陸艇、造い直ちぇえる=戦後の一時期は米軍の上陸艇を改造した
海上トラックん歩ちょおたん=海上トラックも通っていた。
屋慶名人とぅ平安座人お長さ費ち=屋慶名の人々と平安座の人々は長期間費やして、
海中道路迄造たん=海中道路を造った。
うぬ後、地ん人ぬ反対押し退きてぃ=その後、地元の反対を押しのけて
平安座んかい石油工場、造たる石油会社ぬ=平安座に石油工場を造った石油会社が
石油かやあする為なかい今ぬ海中道路=石油を輸送する目的で海中道路を
新に造たるむぬやん=新しく造ったのである。
石油基地ぬなゆる前やくまぬ海ぬ浜あ=石油基地ができる前はここの浜は、
人ぬ歩っからんあたいがちちゃあぬ=足の踏み場もないほど、ウニが
ぐぁさないまんどおたしが=うじゃうじゃ、いたが、
今あむさっとぅ居らんなとおん=今はすっかりいなくなった。
今あ新海中道路お毎朝、=今は新海中道路は毎朝、
あまくまぬガソリンスタンドんかい=あちこちのガソリンスタンドに
石油かやあするトラックぬ大群さありそおん=石油を運ぶトラックの群れで賑わっている

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 比謝川(ふぃざがあ)んかいや昔(んかし)から実(じゅん)に色(いる)んな伝(ちて)え話(ばなし)ぬあん。
 くぬ渡口(とぐち)え米軍(びいぐん)ぬ寄(ゆ)したる所(とぅくる)とぅしちん音(うとぅ)ぬ立(た)っちょおん。
 河(かあら)ぬ北側(にしむてぃい)んかいや日本軍(にふんぐん)ぬ特攻艇(とぅっくうてぃい)基地(ちち)ぬあたん。
 特攻艇基地え具志頭(ぐしちゃん)ぬ雄飛川初(はじ)みあまくまんかいあたん。
 うるま市んでえぬ東(あがり)海端(うみばた)んかいや、銃座ぬ跡(あとぅ)ん監視塔跡んあん。
 西原(にしばる)、豊見城(てぃみぐしく)んかい飛行場ん造(つく)らんでぃそおたん。米軍ぬ寄(ゆ)してぃ来(ち)ゅうる事(くとぅ)、計(はか)らやあに、日本軍や沖縄島(うちなあ)ぬ要塞化進(しし)みとおたるむぬやたん。
 うんな戦(いくさ)ぬ足音(あしとぅ)聞(ち)ち、沖縄んじ商売(あちねえ)んでえそおたる大和人(やまとぅんちゅう)や、いっそうから逃(ふぃん)ぎてぃ居(をぅ)らんなたん。
 やしが、銃座から弾あ射ららな、特攻艇ぬ出じ立ちゅる事お無えんたん。
 沖縄、かに回(まあ)ちょおたる50万人ぬ米艦隊(あみりかいくあぶに)んかい、弾(たま)射(い)てぃん、大海(ううとぅ)んかい湯(ゆう)炊(ふ)ち入(い)りゆる如(ぐと)おるむんどぅやたくとぅやん。

【語句】
比謝川んかいや昔から実に色んな伝え話ぬあん=比謝川には昔から実に様々な伝説がある。
くぬ渡口え米軍ぬ寄したる所とぅしちん音ぬ立っちょおん=この河口は米軍が上陸した所としても有名である。
河ぬ北側んかい(写真)や日本軍ぬ特攻艇基地ぬあたん=河口の北側(写真)には旧日本軍の特攻艇基地があった
特攻艇基地え具志頭ぬ雄飛川初みあまくまんかいあたん=特攻艇基地は具志頭の雄飛川はじめあちこちにあった。
うるま市んでえぬ東海端んかいや、銃座ぬ跡ん監視塔跡んあん=うるま市の東海岸添いには銃座跡も監視塔跡もある。
西原、豊見城んかい飛行場ん造らんでぃそおたん=西原、豊見城に飛行場も建設しようとしていた。
米軍ぬ寄してぃ来ゅうる事、計らやあに=米軍が上陸してくることを想定し、
日本軍や沖縄島ぬ要塞化進みとおたるむぬやたん=旧日本軍は沖縄島の要塞化を進めていたのである
うんな戦ぬ足音、聞ち、沖縄んじ=そんな戦争の足音を聞いて、沖縄で、
商売んでえそおたる大和人や=商売などをしていた内地人は、
いっそうから逃ぎてぃ居らんなたん=片っ端から(本土に)逃れていなくなった
やしが、銃座から弾あ射ららな=だが、銃座から弾が発砲されることもなく
特攻艇ぬ出じ立ちゅる事お無えんたん=特攻艇が出撃することもなかった。
沖縄、かに回ちょおたる50万人ぬ米艦隊んかい=沖縄を取り囲んでいた50万人の米艦隊に
弾射てぃん、大海んかい湯炊ち入りゆる如おるむんどぅやたくとぅやん=発砲したところで、大海原にお湯を注ぎいれるようなものだったからだ。


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