2018年09月

イメージ 1

 早(ふぇえ、へえ)くお確(たし)か、「牧志(まちし)うぐゎん」でぃ言(い)ちょおたる覚(うび)いぬあしが、石碑(いしふぃ、いしひ)んかいや「御嶽(うたき)」んでぃちどぅ彫(ふ)らっとおる。
 あんしまた地図んかい「公園」でぃちどぅある。
 木(きい)ぬ植(うゐ)い様(よう)ん合(あ)あち、中(なあか)ん造(つく)い変(け)えらっとおい、まんぐらぬ景色(ちいち)迄(までぃ)ん、うち変(か)わとおん。
 ゆうしいねえ「牧志うぐゎん」や別(びち)どぅなとおがやあんでぃ思(うむ)ゆるあたいやん。
 直(し)ぐ後(くさ)あんかいモノレールぬ通(とぅう)とおしが、くりん誰(たあ)が思(うみ)寄(ゆ)ゆる事(くとぅ)ぬなたが。
 復帰運動ぬ万事(ばんじ)え、くまんじえ、色(いる)んな政治団体ぬ揃(すり)いまんどおそおたん。
 あんし、目(みい)ぬ前(めえ)んかいある国際通りんじえ、いいくるデモぬすねえとおたん。
 うんにいぬ嵐(あらし)え、今(なま)あとぅるでぃ、くまあ地(ぢい)ん人(ちゅ)ぬ沖縄相撲所(しまどぅくる)なとおん。

【語句】
 早くお確か、「牧志うぐゎん」でぃ言ちょおたる=ずっと以前は確か「牧志うぐゎん」と称していたという
覚いぬあしが、石碑んかいや「御嶽」=記憶があるが、石碑には「御嶽」
んでぃちどぅ彫らっとおる=としか彫られてない
あんしまた地図んかい「公園」でぃちどぅある=そして、地図には「公園」としかない
木ぬ植い様ん合あち、中ん造い変えらっとおい=植樹も含めて、中は改造されているし、
まんぐらぬ景色迄ん、うち変わとおん=周辺の風景まで、激変している。
ゆうしいねえ「牧志うぐゎん」や別どぅ=ひょっとすると、「牧志うぐゎん」は別の場所に
なとおがやあんでぃ思ゆるあたいやん=あるのだろうかと思えるほどである
直ぐ後あんかいモノレールぬ通とおしが=直ぐの後ろにはモノレールが通っているが
くりん誰が思寄ゆる事ぬなたが=この事をもだれが予想できたか。
復帰運動ぬ万事え、くまんじえ=復帰運動盛んなりし頃、ここでは、
色んな政治団体ぬ揃いまんどおそおたん=様々な政治団体が集会を繰り返していた。
あんし、目ぬ前んかいある国際通りんじえ=そして、目と鼻の先にある国際通りでは
いいくるデモぬすねえとおたん=よくデモが繰り広げられていた
うんにいぬ争えぬ嵐え、今あとぅるでぃ=あの頃の闘争の嵐は今は止み
くまあ地ん人ぬ沖縄相撲所なとおん=ここは地元の沖縄相撲の大会等が行われるとなっている

イメージ 1

 前(めえ)に「茅崖涯(かやふちばんた)ぬわれえら」ぬ所(とぅくる)(1茅崖涯ぬ割れえら)んじ、「割取(わいとぅい)」ぬ話(はなしい)出(ん)じゃちぇえたくとぅ、「あんせえ、「割取」んでえ如何(ちゃ)ぬ様(ゆう、よう)な物(むん)やが」んでぃぬ話ぬあん。
 旧(ふる)バージョン於(をぅ)とおてえ、御目掛(うみか)きたるむぬやしが、知(し)らん人(ちゅ)んまどおる筈(はじ)やくとぅ、又(また)御目掛きら。
 写真(しゃし)ぬん新(みいく、しん)に抜(ぬ)じぇえる物なとおん。
 ゐいりき所としちぇえ、知(し)らってえ居(をぅ)らんくとぅ、地(じい)ん人(ちゅ)ぬ他(ふか)あ、観光客(かんこうちゃく)ぬ伸(ぬ)ばがい影(かあぎ)え一人(ちゅい)んちょうん見(ん)ちぇえんだん。
 地ん人ぬ農道(はるみち)造(つく)ゆんでぃち、昭和7年(にん)から10年、費(てえ)ち、金鍬(かなぐぇえ)とぅ金柄(かにがら)びけんし普請(ぶしん)さんでぃぬ事(くとぅ)。
 150m(ミーター)びけえ普請さんでぃぬ事やしが、割取らあさる所(とぅくる)お7~80mぐれえやあらんがあらんでぃ思(うむ)ゆん。
 下(しちゃ)から20mぐれえ上辺(うゎあび)、うち上(ゃ)がてぃ見(に)いねえ、うんにいぬ人(ちゅ)ん達(ちゃあ)ぬ意地入(いじい)りぬ思(うま)ありいん。

【語句】
前に「茅崖涯ぬわれえら」ぬ所(1茅崖涯ぬ割れえら)んじ=以前に「茅崖涯ぬ割れえら」のところで、
「割取」ぬ話出じゃちぇえたくとぅ、「あんせえ=「割取」のことを持ち出したので、「では、
「割取」んでえ如何ぬ様な物やが」んでぃぬ話ぬあん=「割取」とはどのようなものなのか」という疑問がある。
旧バージョン於とおてえ、御目掛きたるむぬやしが=旧バージョンでは紹介したが、
知らん人んまどおる筈やくとぅ、又御目掛きら=知らない人もいるはずなので、再度紹介しよう。
写真ぬん新に抜じぇえる物なとおん=写真も更新したものである。
ゐいりき所としちぇえ、知らってえ居らんくとぅ=観光地としては知られてないので、
地ん人ぬ他あ、観光客ぬ伸ばがい影え=地元以外の観光客の姿は
一人んちょうん見ちぇえんだん=ただの一人さえ見たことがない。
地ん人ぬ農道造ゆんでぃち、昭和7年から10年=地元の人たちが農道を造ろうと、昭和7年から10年間
費ち、金鍬とぅ金柄びけんし普請さんでぃぬ事=かけて、金鍬と金柄」だけで工事をしたとの事。
150mびけえ普請さんでぃぬ事やしが=150mばかり工事したとのことであるが、
割取らあさる所お7~80mぐれえやあらんがあらんでぃ思ゆん=割取らしいところは7,80Mぐらいではないかと思う。
下から20mぐれえ上辺、うち上がてぃ見いねえ=下から20mばかりを見上げると
うんにいぬ人ん達ぬ意地入りぬ思ありいん=当時の人々の力強い根性が偲ばれる。

↑このページのトップヘ