2018年10月

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 佐敷城(さしちぐしく)や按司(あじ)尚巴志(しょうはし)ぬ居(をぅ)たる城(ぐしく)なとおん。
 庭(なあ)んかいやウシクとぅ相思木ぬ丸抱(まんだ)ちゃあそおんねえし、まちぶとおん。
 中山(ちゅうざん)滅(ふる)ぶち後(あとぅ)、男(ゐきが)ぬ親(をぅや)ゆ中山王(ちゅうざんおう)、かみらちゃしが、うぬ親ぬ亡(まあ)あち後(あとぅ)、二代目(にでえめ)ぬ中山王とぅしち、琉球(るうちゅう)、丸(まる)ちゃん。
 やしが、後世(あとぅでえ)ぬ尚徳王ぬ亡あちゃる後ぬ世継(ゆちじ)、決(ち)わみゆるばす、誰(たあ)下企(しちゃだく)まがやたらあ、「安里大親(あさとぅうふや)ぬユタ物言(むに)い」なかい、尚泰久世(ゆう、でえ)ぬばす、百姓(ひゃくしょう)から立身(でぃっしん)しちゃる金丸ぬ尚徳ぬ世継とぅなたん。
 歴史家(りちしがくしゃ)あ、うぬ事(くとぅ)、「クーデター」んでぃ言(い)ちょおん。
 事ぬ行(い)ち成(な)いから、金丸くるお、「クーデター」ぬ積合(ちむええ)やあらんたる筈(はじ)。
 安里大親あ実(じち)え尚泰久なかい滅(ふる)ぶさったる護佐丸(ぐさまる)ぬ弟(うっとぅ)やたんでぃぬ伝(ちて)え話(ばなし)んあん。
 琉球ぬ系図(ちいじ)え佐敷城址ぬ庭木(なあぎい)ぬ如(ぐとぅ)し、まちぶいかあぶいそおん。

【語句】
佐敷城や按司尚巴志ぬ居たる城なとおん=佐敷城は按司尚巴志の居城であった。
庭んかいやウシクとぅ相思木ぬ=(城の)庭には薄久と相思木が、
丸抱ちゃあそおんねえし、まちぶとおん=抱き合うように絡み合っている
中山滅ぶち後、男ぬ親ゆ中山王、かみらちゃしが=中山を滅ぼした後、父を中山王にしたてたが
うぬ親ぬ亡あち後、二代目ぬ中山王とぅしち=その父が亡くなった後、二代目の中山王として
琉球、丸ちゃん=琉球を統一した
やしが、後世ぬ尚徳王ぬ亡あちゃる後ぬ世継=だが、後世の尚徳王が亡くなった後の世継ぎを
決わみゆるばす、誰下企まがやたらあ=決めるときに、誰の企みだったのか、
「安里大親ぬユタ物言い」なかい、尚泰久世ぬばす=「安里大親の神がかった発言」のために
百姓から立身しちゃる金丸ぬ尚徳ぬ世継とぅなたん=平民からのし上がってきた金丸が尚徳の世継ぎとなった
歴史家あ、うぬ事、「クーデター」んでぃ言ちょおん=歴史家はその「事変」を「クーデター」という。
事ぬ行ち成いから、金丸くるお=事態の経緯から、金丸自身は
「クーデター」ぬ積合やあらんたる筈=「クーデター」との自覚はなかったであろう。*金丸(尚円)にとって、あくまで尚家含む後継ぎを決める会議の中で選ばれたのである。
安里大親あ実え尚泰久なかい滅ぶさったる=安里大親は実は、尚泰久王に滅ぼされた(註)
護佐丸ぬ弟やたんでぃぬ伝え話んあん=護佐丸の弟だったの言い伝えがある。
琉球ぬ系図え佐敷城址ぬ庭木ぬ如し=琉球の系図は、佐敷城跡の庭木のように
別ぬ木同士あぬまちぶいかあぶいそおん=異種の木同士が絡み合っている。
注:護佐丸を直接、討ったのは勝連の阿麻和利だが、首里中山の尚泰久王の許可を得ていた。護佐丸が謀反を企んでいると中山に進言した阿麻和利の進言をろくに調査もせずに、護佐丸側からの事情聴取もせず、首里は阿麻和利の護佐丸攻撃を許した。

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「しるみちゅう」や地(じい)ん人(ちゅ)ぬ言(い)ちょおる名(なあ)やん。
「おもろ」んかいや「しねりきよ」んでぃちあん。
 「しにりく」んでぃぬ名んあん。
 「きよ」ん「く」ん「ちゅ」ぬ開音(くゎいうん)なてぃ「人(ちゅ)」んでぃぬ積合(ちむええ)やん。
 いいくる「しねりきよ」ぬ対句とぅさあに、「あまみきよ」、「あまみちゅう」、あまみく」んでぃぬぬ語ぬ文献(しゅむち)ぬんかいあん。
 「あまみちゅう」ぬ「海部人」んでぃぬ積合ぬヤマトゥんでえから来(ち)ょおる人ん達(ちゃあ)やれえ、「しるみちゅう(白部人)」や元(むとぅ)から昔(んかし)琉球(るうちゅう)んかい居(をぅ)たる人(ちゅ)ん達ぬ事がやら。
 うぬ二(たあ)ちぬ「部(み)ん人(ちゅ)」ぬ交(まじ)わてぃ「琉球人」とぅがなたら。
 ガマゆ住(し)めえ所(じゅ、ず)とぅそおたるかあま大昔(うふんかし)ぬ琉球んかいや離(はな)りん合(あ)あち、色(いる)ぬ白(しる)さる人ん達ぬ居(をぅ)やあに、今(なま)んうぬ血引(ちいふぃ)ちょおんでぃ思(うま)ありいる人ん達んまんどおん。
 かわてぃ、あるシマあ、琉球国世(るうちゅうくくゆう)から、他所(ゆす)ジマから、得(い)いやあぬまんでぃ、今はぐまシマ小けえなとおん。

【語句】
「しるみちゅう」や地ん人ぬ言ちょおる名やん=「シルミチュー」は地元の呼び名である
「おもろ」んかいや「しねりきよ」んでぃちあん=「おもろ」には「しねりきよ」とある。
「しにりく」んでぃぬ名んあん=別に「しにりく」という名もある
「きよ」ん「く」ん「ちゅ」ぬ開音なてぃ=「きよ」も「く」も「ちゅ」の開音であり
「人」んでぃぬ積合やん=「人(ひと)」という意味である
いいくる「しねりきよ」ぬ対句とぅさあに=よく「しねりきよ」の対句として
「あまみきよ」、「あまみちゅう」、「あまみく」んでぃぬ=「あまみきよ」、「あまみちゅう」、「あまみく」という
語ぬ文献ぬんかいあん=語が文献にはある。
「あまみちゅう」ぬ「海部人」んでぃぬ積合ぬ=「あまみちゅう」が「海部人」という意味の
ヤマトゥんでえから来ょおる人ん達やれえ=本土等からやって来た人達ならば、
「しるみちゅう(白部人)」や元から昔琉球んかい居たる人ん達ぬ事がやら=「しるみちゅう(白部人)」とは元々、大昔から琉球に居た人々のことなのだろうか。
うぬ二ちぬ「部ん人」ぬ交わてぃ「琉球人」とぅがなたら=その二つの「部族」が交わって琉球人となったのか。
ガマゆ住めえ所とぅそおたるかあま大昔ぬ琉球んかいや=洞窟を住居にしていたはるか大昔の琉球には
離りん合あち、清ら影ぬ色ぬ白さる人ん達ぬ居やあに=離島を含め、美形の色白い人々がいて、
今んうぬ血引ちょおんでぃ思ありいる人ん達んまんどおん=現代もその血を引いていると思われる人々が多くいる。
かわてぃ、あるシマあ、琉球国世から、他所ジマから=特にあるシマにおいては、琉球国時代から他所ジマから
得いやあぬまんでぃ、今あ、ぐまシマ小けえなとおん=(嫁として)貰い手が多く、極小集落になってしまった。

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