2019年02月

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 「がじゅまる公園」んでぃぬ名(なあ)ぬ付(ち)ちょおる公園(くういん)や沖縄(うちなあ)んかいやまんどおい、また、公園のおあらんてぃん、かじゅまる、大切(てえしち)にそおる御嶽(うたき)とぅか学校(がっこう)ぬ庭(なあ)とぅかんあん。
 うんしゃく、沖縄人(うちなあんちゅ)お、がじゅまるましそおるしいいじやる筈(はじ)。
 がじゅまるお形(かたち)え色々様々(いるいるさまざま)やしが、根(にい)ぐいから枝葉迄(ゆだふぁまでぃ)、実(じゅん)に頑丈(がんじゅう)ぎさし、霊高(しいだが)さんあい、人(ちゅ)ぬ肝心(ちむぐくる)ゆ、でえじな圧(う)さあとおん。
 がじゅまるお、木憑物(きじむ)なあん住(し)どおんでぃぬ伝(ちて)え話(ばなし)んあん。
 他(ふか)ぬがじゅまる公園そうな所(とぅくる)んかいや、大概(てえげえ)、万(ゆぬじ)な支(し)こうい物(む)ぬんあしが、くまぬ公園ぬんかいや、くぬがじゅまるぬ他(ふか)なかいや家(やあ)ぶる、くまベンチ、童(わらび)ぬ滑(しん)でぃ物(ぶん)一(てぃい)ちびけんどぅある。県木(きんぶく)おリュウキュウマツどぅやしが、がじゅまるやか、沖縄人ぬ肝心ぬ頼(たゆ)い所(どぅくる)とぅなとおるむの無(ね)えらんでぃ思(うむ)ゆん…。

【語句】
「がじゅまる公園」んでぃぬ名ぬ付ちょおる公園や=「がじゅまる公園」と名の付く公園は
沖縄んかいやまんどおい、また、公園のおあらんてぃん=沖縄には多いし、また公園でなくても
かじゅまる、大切にそおる御嶽とぅか=ガジュマルを大事にしている御嶽(聖地)とか、
学校ぬ庭とぅかんあん=校庭とかもある。
うんしゃく沖縄人おがじゅまるましそおるしいいじやる筈=それほどまでに、沖縄人はガジュマルを愛しているということの表われなのだろう。
がじゅまるお形え色々様々やしが、根ぐいから枝葉迄=ガジュマルは形は多様であるが、根っこから枝葉に至る迄、
実に頑丈ぎさし、霊高さんあい=ほんとうに、力強くて、神々しくもあり、
人ぬ肝心ゆ、でえじな圧さあとおん=人々の心を圧倒している。
がじゅまるんかいや、木憑物なあん棲どおんでぃぬ=ガジュマルは木の精(キジムナー)が棲んでいるとの
伝え話んあん=伝説もある。
他ぬがじゅまる公園そうな所んかいや、大概=他のガジュマル公園の類には、大抵、
万な支こうい物ぬんあしが、くまぬ公園ぬんかいや=雑多な設備もあるが、この公園には
くぬがじゅまるぬ他なかいや家ぶる、ぐまベンチ=このガジュマル以外には屋根付きのトイレ、小さなベンチ、
童ぬ滑でぃ物びけんどぅある=子供用の小さな滑り台があるだけである。
県木おリュウキュウマツどぅやしが、がじゅまるやか=県木はリュウキュウマツなのであるが、ガジュマルほど
沖縄人ぬ肝心ぬ頼い所とぅなとおむの無えらんでぃ思ゆん…=沖縄人の心の拠り所となっているものはないと思う…

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 今(なま)あ、なあ家内家内(ちねえぢねえ)んかい、水道(しいどう)ぬ引(ひ)かっとおしが、戦前(いくさめえ)迄(まで)え、いいくる村井戸(むらがあ)どぅ使(ちか)とおたる。
 戦後(いくさあとぅ)んちゅてえ小(ぐゎあ)や、写真ぬ如(ぐと)おる井戸ぬたしが、今ちきてぃ残(ぬく)さっとおしえ珍(みじら)しむんやん。
 井戸(かあ)や沖縄人(うちなあんちゅ)にとぅてえ、拝所(うかみどぅくる)ん又(また)やん。
 門中(むんちゅう)にゆてえ、かわてぃ、うやふじぬ使(ちか)とおたる井戸や、6月(るくぐゎち)御祭(うまち)いまた旧正月(しょうぐゎち)ぬばす、拝(うが)みいが行が(い)ちゅる所(とぅくる)んやん。
 今あダムからぬ水道ぬあくとぅ、飲(ぬ)み水(みじ)ぬ通(とぅう)ちあしえ、当(あ)たい前(めえ)んでぃどぅ思(うむ)とおる筈(はじ)やしが、昔(んかし)え水え、雨(あみ)びけえんどぅ頼(たる)がきとおたくとぅ、通ち水ぬあんでぃちぇえ限(かじ)らんたん。
 井戸水えあたら命、押上(うや)ぎゆるむぬとぅしち、畏(うす)りらんでえならんむんやたん。
 自然(しじん)や実(じゅん)に命(ぬち)守(まむ)ゆるむぬんやい、又取(とぅ)ゆるむぬんやん。 うん如(ぐと)おる思(うみ)いぬあやあにどぅ、昔ん人(ちゅ)お自然ゆ畏(うす)りてぃ来(ち)ゃる。

【語句】
今あ、なあ家内家内んかい、水道ぬ引かっとおしが=今は各家庭に水道が引かれているが
戦前迄え、いいくる村井戸どぅ使とおたる=戦前までは殆どは、村の共同井戸を使っていたでのである。
戦後んちゅてえ小や、写真ぬ如おる井戸ぬたしが=戦後もしばらくは写真のような共同井戸があったが、
今ちきてぃ残さっとおしえ珍しむんやん=いまだに残されているのは珍しい
井戸や沖縄人にとぅてえ、拝所ん又やん=井戸は沖縄人にとって、これまた拝所でもある
門中にゆてえ、かわてぃ、うやふじぬ使とおたる井戸や=門中によっては特に先祖が使っていた井戸は、
6月御祭いまた旧正月ぬばす=6月ウマチーや正月などに
拝みいが行がちゅる所んやん=参拝しに行くところもある。
今あダムからぬ水道ぬあくとぅ、飲み水ぬ通ちあしえ=今はダムからの上水道があるから、飲料水が安定的にあるのは
当たい前んでぃどぅ思とおる筈やしが=当然だと思われているかもしれないが
昔え水え、雨びけえんどぅ頼がきとおたくとぅ=昔は雨頼みだったので
通ち水ぬあんでぃちぇえ限らんたん=常に水が供給されるとは限らなかった
井戸水えあたら命、押上ぎゆるむぬとぅしち=井戸は大切な命を支えるものとして
畏りらんでえならんむんやたん=敬まい大切にしなければならないものであった
自然や実に命守ゆるむぬんやい=自然は実に、命を守るもでもあり
又取ゆるむぬんやん=また奪うものである
うん如おる思いぬあやあにどぅ=このような思いがあったからこそ
昔ん人お自然ゆ畏りてぃ来ゃる=昔の人は自然を敬い大切にしてきたのである。

注:沖縄語の「畏(うす)りゆん」には日本語とはニュアンスを違え、「尊敬し大切にし崇める」という意味合いがある。

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